母親である前に人間だから


「イヨッ、ナツ!」お隣さんのファアガロ、3人の子持ち。
●赤ん坊の世話はみんなで●

 子供のことで見つけたサバイイ島と日本の街社会のおおーきな違い。
 サバイイ島では、子供が赤ん坊のときから、いろんな人に世話をされる。自動的に母親は「子供の世話」以外の時間が多い。

 お隣のファアガロは、1歳のエレンという赤ん坊の母親だ。
 壁のない家に寝っ転がっていると、いつも「イヨッ、ナツ!」と私を呼ぶ元気な声が飛んできて、振り返るとそこを通るファアガロ。
 水浴びや水汲みの途中だったり、買い物や、時々保育士をしてるという幼稚園の帰りだったりする。エレンを抱いてる姿はそれほど多くないのだ。
 


 エレンの面倒は基本的に、ファアガロのお母さんと、一緒に住んでる遠縁の娘、15歳のイスタが見る。そしてお隣である我が家にも、エレンはよく一日中預けられている。近所のいろんな子供に面倒見られながら。
 
 そうなのです…!母親以外に赤ん坊の育児をする人手が、たくさんいるのです…!
 かくて母親は、日本の専業母親(←過去の私)のような「育児ストレス」からは解放されている。

 ファアガロはデーンとしていて、冗談が好きで、いつもかっかっかぁ!と大笑いする、たくましくてセクシーで明るいポリネシア女性だった。
こっちの家(マセリナの家)で遊ぶエレン(手前・夢さん)

                 

●母親に不幸な日本の「誤解」●

 でも実は、日本でも村社会が生きていた戦前くらいまではそうだった。
 それが、近所とのつきあいが薄くなり、おじいちゃんやおばあちゃんとは別居するようになり、父親は外で長時間働くようになり、年長の子供達は勉強で忙しくなってきたころ…。ちょうど今の前世代の母親達の時代。
 他に誰もいないので、「赤ん坊の世話は母親の仕事」になってしまった。

 育児書・育児雑誌は、「母親」がいかに子供と向き合うかをテーマにして書かれる。その「母親育児説」自体を疑問視する育児書は少ない。

  ご多分にもれず「育児ストレス」に悩んだ私は、この日本の「母親」育児常識を、なんかおかしい、と疑いだした。 その常識がどっから来たか?を調べた。もちろん育児書には書いてない。

 じつは、高度成長期に、イギリスの近代の教育学者ボウルビー他の「子供は三歳くらいまで母親の側で」という特殊な説が、当時の日本の資本主義発展を支えるのにちょうど便利だったので「思想輸入」されたのだ。
これが、いはゆる「三歳児神話」の発端。 政治的な輸入である。

 このボウルビーの「三歳児」説自体が、かなり偏った調査からでてる。論証のフィールドを超多人数制の捨て子施設にしているなどだ。 (つまり、母親が仕事をしている環境ではなく、子どもの世話をする人自体がいない環境を取りあげて、「だから母親がずっとついていた方がいい」と飛躍した論を展開している。)

 また研究者自身が、最初から結論を「母性愛神話」に決めて、その信仰の上で論証を探している。ボウルビー個人が「母性愛」にあこがれを持っていたのだ。当時の他の何人かの研究者にもその傾向が強かった。いわゆるマザコン。

 そういうことをほとんどの日本人は今も知らない。
(参考文献: ヴァン・デル・ベルグ『疑わしき母性愛』 野田俊作『続アドラー心理学トーキングセミナー』)

 戦時中、「健全な人間はお国のために死ぬ」という思想で多くの人間が犠牲になった。
 それと同じように、今、この産業社会を支えるために「健全な母親は自分を犠牲にして子守りに全エネルギーをそそぐ」という思想がふりかざされている。
 そしてその犠牲になるのは、自分に自信のない、まだ人生を探している途中の若い女性たちだ。

 弱い者を洗脳することで社会を成り立たせようとする、この時代を超えた「力」に、わたしは怒りを覚える。


 私はその後、この社会が指し示す「いい母親」から、おりる決心をした。
そして、探しに探して、いい保育園の助けを得て好きな仕事と、人生探しを少しずつ再開した。
 さらに夢さんの父親に「脱ジェンダー」の説得を繰り返して、時には仕事を犠牲にしても世話をしてもらうようになった。
 「だって、女が仕事を犠牲にして(←育児休暇や退職など)育児をするのに、男だけは仕事優先が許されるなんて、今の常識、女がかわいそうじゃない?」と。この説得には、かなりの時間と根気とあらゆる書物が必要だった。

 けれども、そうやって、「孤独な育児ストレス」からは解放された。


 マセリナとファアガロ、子供たち

 子供たちはよく働く。
家の用事を済ませた後、海に飛んでって
遊びまくる。すごいエネルギー…。  
●育児ストレスには他者のヘルプを●


ファアガロの上の息子、サベル

  24時間「母親業」をしていた以前の私のように、「育児ストレス」に悩む女性がこれを読んでいたら、どうか聞いて欲しい。
 あなたの子供へのつきあいかたが問題なのではない。
(そりゃあこの社会、誰しもアダルトチルドレンだから問題ない人なんていないけどね。)

 あなたはあなたが思うほど悪くない。あなたはきっと、かなり工夫もして、努力もしている。

 「24時間母親業」の環境が、実はとても不自然なのだ。
 もちろん子供との時間は大人にとっても、世界を広げ、自分を育てなおす大切な時間。 そして自分より小さい子どもを優先して世話をする時間は、人生上、とても大切。

 でもたった一人で24時間、では、疲れきってノイローゼになって当たり前。
 それをあなたに押しつけて当然な顔をしてるこの社会が、メディアが、周囲が、かなり問題。

 あなたには、「子供を見る時間」以外に、「あなた自身のための時間」が必要だ。

 自分から周囲にはたらきかけて、いろんなところから育児ヘルプをゲットすることが、育児ストレスの根本的解決だ、とわたしは思います。
 女に不利なこの社会を少しずつ変えていくことを、私達母親からはたらきかけてもいいじゃない?

 自信をもって、私たちの人間としての当然の権利を、もっと叫ぼうよ。


カカオ豆をつくサネレ(マセリナの息子)


 けれども私の時にそうだったように、周囲はあなたの主張をなかなか認めようとしないだろう。
あなたの内面の自信のなさにつけこんで、「もっと頑張りなさい。いい母親になるために。」と言う人も多いだろう。

 そんな時は、とりあえずその人に、このページを見せてください。そして決して諦めずに、説得を工夫してください。さらに、他に応援してくれる人を探して欲しい。そうすれば、道は必ず、拓(ひら)けるから。

 私は、あなた自身の「生き生き」を取り戻すために、このページの向こうから、心からの声援を送りたい。

 子どもにとって一番の幸せと、一番の人生のレッスンは、生き生きと自分を生きる親の姿を見ることだー 
 と、わたしは信じて疑いません。


畑から帰るアトニウとその三男ファイトトア

15歳のイスタに抱かれて毎日うちに来るエレン。
ココナツの皮をむくルアリマ、ごろごろするマセリナ。


私(ナツ)が抱いてるのはエレン、
隣村のトフおじさんが抱いてるのが夢さん。
赤ん坊は誰もが抱く。
 
 サバイイ島を離れる日が近づいた。
 ファアガロがお別れにシアポーの団扇を
 作ってくれた。
 (左・夢さん、中央・エレン)

 


 

サバイイ島10 ヒョイ!の眉あげあいさつ
 サモアってどこ?


         ★=現在地

             1歳の赤ん坊と日本を脱出するまで



 
1 初めての人の輪も濃い!

 フェアばあちゃんの「超簡単子育て」

3 海辺で(餅つきでなく)

  サモアン・ココアつき

4 「友情とお金は切り離せない」?!


5 知らない人の膝に乗るのが

  サモアのバス

6 同じ空間、
  子供の世界と大人の世界

1 村みんなが「家族」ってこういうこと

2 鶏は家の中、子供は扇風機役


3 川での行水にはコツがある


4 ー海ー 魂の源


5 夢さんは村の子になっちゃった…


6 働き者は損をする…?


7 交通事故のブタは石焼に!


8 200人を家で接待、これ普通。


9 母親である前に人間だから


10 ヒョイ!の眉あげあいさつ

                 大切なあとがき

体験 体験 体験
うっま〜い石焼、
「ウム」料理
チャチャっと編む
ヤシの葉のかご
木の皮の布、
「シアポー」づくり

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