● ナヌマンガ島2008年の日記 5月12日
  ー 草ぶき屋根のふきかえ 2 ー


屋根ふきも終盤のころ。

アセナティが、
椰子の葉でなにやら
長ぼそいものを編んだ。

「なにこれ?」とワクワクするわたし。
「これで屋根のてっぺんをとめるんだよ。」
「へぇぇ。」
「ファカタフィティ
 (=取っ組み合わせるもの)っていうんだ。」

そしてアセナティは、
ニカァと笑って聞いた。
「ナツ、屋根のてっぺんを、とめに登るかい?」

わたしは即座に答えた。
「うんっ。やりかた、覚えたい。」 やる気満々。

するとアセナティは、
はじきとばされたように大笑いをした。
「ぎゃははははははははっはっはっあ!
ねぇ、ナツが登るんだって。」

「がはははははっはっはっあ!」
みんなもいっせいにバカ笑いだ。

わたしはムカァ〜ッときた。
「屋根の上くらい、登れるよ。」

でも、だあれも相手にしてくれなかった。



ファトゥイヴィが登った。

まず、屋根のてっぺんに、屋根材「ラウ」
(前ページ)をふたつ、
向かいあわせて結びつけたものを、
右斜面、左斜面にまたがせて、棒でとめる。
両斜面で、下から重ねてふいてきた「ラウ」の、
一番てっぺんをかざるラウのペアだ。

あらかじめ結んでペアになったラウを、
下からチヒリが「あらよっ」。
次々と屋根のてっぺんにむかって棒でかかげていく。


そして、そのラウの
さらにてっぺん。
この青々とした
椰子の葉の、
「ファカタフィティ」をかぶせ、
棒で止めていくのだ。

右から左に。
屋根の右斜面と左斜面を
しっかりと閉じて
ぐっ、ぐっ、とつらぬいていく。

筋肉りゅうりゅうと、
額(ひたい)に汗しながら
屋根のこちらからあちらに
力いっぱい、
棒をつきさしていくファトゥイヴィ。

なぜ、みんなが笑ったか
今やっとわかった。

わたしにこの筋力が
あるわけはなかったのだ。




オシエじいちゃんの家「オシエじいちゃんの家」
生き返った。

アセナティがひとりで、森にとりにいったファラの葉。
それをみんなでなめした。      
4月28日「千代の富士おんなの瞳」
アセナティとわたしで、縫った。    
5月9日「屋根材を縫う」
男たちも出てきて、総出でふいた。 
(5月12日「草ぶき屋根のふきかえ1」

自分がこの手でしたこと。
目の前にいる家族たちと、一緒に汗したこと。
それが、この頭上、ファラの葉のすがすがしい匂いになっている。

こののち。
7ヶ月間この島にいる間、わたしは何度も
森をぬけてここへ来て
この屋根の下で寝っころがった。

そしてそのたびに、
この全身のすみずみに
確かな血が流れ、
エネルギーが静かに湧くように充電されていった。

ラウ(屋根材)を縫っていたとき、
アセナティは言っていた。
「いいもんだよぉ。
自分たちで作った屋根の下で寝るのは。」

ほんとうに、そのとおりだった。

こんな、地からゆっくりと芽が顔をだすような充実感はー。
この20年間、日本であらゆる「創造的な」仕事をして生きてきても
体験したことがなかった。




さて、この屋根葺きの日。

夢さん(7歳)とハイチア(5歳)はー。

おとな達がラウをかわして労働する下で
野ねずみを慣らして遊んでいた。

夢さんがはしゃいで、
はるか下界から
足場板で屋根と格闘するわたしに
大声で叫びつづける。

「ねぇなっちゃん!
すっごいなついたでぇ。
ひゃあ、くすぐったい!肩にまわった。
見て!見て!ねぇ!見てってばぁ!」

いや、あのねぇ、夢さん。
グラグラ揺れる高い足場板で、
針と縄を手に、
次々と投げられるラウをむすんで
汗だくのわたしは、
それどころじゃないんだよ。

ー周囲の空気を察することができず、
ひたすら自分の世界だけを叫ぶ
街の子ども。

すっかりそのひとりになって
ツバルに帰ってきた夢さんだ。

まったくもう。 

…はっ…。
何をするかも分からないまま
屋根のてっぺんには自分が登りたいと
ダダをこねたわたしー。

この母娘、…同じ穴のむじな…?




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