● ナヌマンガ島2008年の日記 5月17日

 

  ー 酔っぱらいチヒリ ー


カヌーを修理するチヒリ

チヒリは23歳。
マロソーばあちゃんの3人息子の末っ子だ。

兄のトギアやファトゥイヴィとはちがって、無口だ。

漁に出ても、ふたりの兄のようには成果がない。

野鳥捕りも、まだ覚えていない。

食事のとき。 みんなが高床式の小屋で輪になって団らんする下で、
ひとりで地べたに座りこんで黙々と食べる。

「チヒリ、こっち、あがっておいでよ。」
「あ…いや、いいよ。ここで…。」
目をあわざすに下を向いたまま笑う。

そんなチヒリに、わたしはよく話しかけた。
「チヒリ、どこ行ってたの。」「チヒリ、今日は何するの。」「チヒリ、ひと休みしなよ。」

「…あ、ぁ、豚小屋。」「…あ!ぁ、カヌーの修理を…。」「あぁ、え、うん、これがすんだら…。」
いつもそそくさと、顔を隠すように答える。


チヒリが別人になるときがある。

それは酒を飲んだとき。

ツバル離島の男たちはみんな、
毎朝、毎夕、
椰子の木にのぼって
樹液をとる。
(★1)

この樹液を「カレヴェ」といい、
とてもウマイ。

この「カレヴェ」、
置いておくと発酵がすすんで
酒になる。

チヒリはわたしたち家族のために
カレヴェの瓶をいくつも
椰子の木から持って降りては

ひと瓶だけは自分の酒用タルに
あけるのだ。

夜になると
呑み助友達2,3人、
母屋のウラで
こっそりと飲みだす。

ーはじめはおとなしく。ーだんだん声がでかくなる。
1時間もすれば、ゆでだこチヒリのできあがり。
「いょおおお〜。ナツ、元気ぃ〜〜? どぉうだぁい〜!」
ふだんとはうってかわって、ヘロヘロ、ベラベラ、「寄るな!」ってぐらい人なつっこい酔っぱらい。
フォラやルタ、兄嫁たちは、「やぁねぇ、またよ。」と陰口ひそひそ。

★1 カレヴェ採りの写真= バイツプ島実況写真「家族のご紹介」  バイツプ島社会構造4「島で暮らすということ」



● ツバルの酒飲み ●


  ツバルでは強いキリスト教色の下、アルコールは道徳に反したものとして公衆の場では敬遠されている。

  でもこんなに簡単にココナツ酒がつくれる。
  首都では輸入のビールやラムやジンも売られている。

  呑み助たちは、夜にこっそり、ほんの数人で、家の陰、暗闇で楽しむ。

  くら〜い夜道を歩いていると、真っ暗闇にトツゼン、呑み助たちの輪に出くわして、ギョッっとすることがある。

  そういうとき、たいてい連中の目はすわっている。
  ヘロヘロとくだをまいて、なれなれしく話しかけてくる。
  「ちょっと、ちょっとぉ〜、いっしょに飲もうよぉ〜!」

  正体不明になるまで、ぐてんぐてんに飲む。

  呑み助はどこの島でも決まったメンツだ。
  「酒飲みのだらしない奴」と言われている。

  ここナヌマンガ島のウィナーは、飲むといつも妻をボコボコになぐる。

  フナフチの刑務所で会ったアフェレは、飲んだいきおいで妻を殺してしまった。 (「刑務所の海」




● 椰子酒で泥酔するチヒリ ●




折りしも、この2ヶ月はWOWOWドキュメンタリー「夢菜7歳の島」の撮影隊、ノリさんとゲンさんがこの家に同居。
この家族の日常を撮影をしながら一緒に暮らしていた。
ところが、ふたりが日本に帰る日は近づいているというのに、たまたま間が悪くて、
プラカ芋畑で働く家族の風景をまだ撮影できていなかった。

わたしは家族のみんなにふれ回っていた。
「プラカ畑に作業しに行くときは、ふたりを連れて行ってね。」

その日の朝のチヒリはいつになく明るかった。
「ナツ!豚の世話が終わったら、ノリとゲンを連れて、プラカ畑に行こう!」
「ほんと!やった!」
思えばあの明るさ…。朝から少し酒がはいっていたのだ。

待ちぼうけをくらう撮影隊。重たい機材と準備が無駄になった。
撮影日も残り少ない。
できるだけたくさんの「ナヌマンガ島の暮らし」を撮りためたい
番組スタッフは焦る。

昼も過ぎてから、足元フラフラ、白目むいて吐きながら帰ってきたチヒリ。

そして今度は酔っ払い仲間たちと
大音量でヒップホップを流してのバカ踊りだ。
ーみっともなくて目もあてられない。
(でもついビデオに撮った。)

さらに。
いつも小さな子ども達が、トイレに間に合わず家の周りでウンチをしたのをよく掃除していた。
この日も、「スリタ(2歳)かな。ピスィレレ(3歳)かな。それにしては特大だ。」と思いながら
箒(ほうき)と水ではき流した、洗濯場のウンチが。

酔ったチヒリのものであったことが後で判明した。 −うげぇえ。

マロソーばあちゃんは、チヒリのいないところで、いつもこう言った。
「あいつは、ふたごの先に出たほうだから、できそこないだよ。」

チヒリは、嫁にいったばあちゃんの娘、テクアとふたごの兄妹なのだ。


ふたごの先に出たほう…それを「フアレレ」と呼んで
この島では、昔から忌み嫌う。

「フアレレ」のチヒリ。

母親からそんなふうに言われて育ったチヒリ。
そんなチヒリに、感情移入して、いつも見ていたわたし。

だが。この日ばかりは愛想がつきた。

「ナツ、ごめんねぇ〜。」 デレデレと臭い息であやまってくる酔っぱらいチヒリを
わたしは睨みつけながら無視して、背を向けた。

けれどその向けた背中の後ろに、やはり他人ではないものを感じて困惑した。
「このひと。この先、どうなるんだろう…。」


朝、豚小屋にもっていく残飯をくむチヒリ。(右) いつもこうして我が家の一日は明ける。





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