● バイツプ島の社会構造 4

 

ー 島で暮らす、ということー
(+ 島を二分する「イトゥアラ」制度)


過密化している首都の島フナフチ以外、どこの島も、島の大部分は森だ。
ごく一部分が村で、そこに人間は集まって暮らす。
そして森にも土地区画があって、みんな毎日、自分の森の中につくるプラカ畑、豚小屋にバイクなどで出かけて行ってはたらく。
「マターニウ」については次ページ「マターニウ制度」を。


トゥマセウ側の集会所、「マネアパ・アケガ」にて、今年度タキタキ(リーダー)を誰にするかの話し合い。トゥマセウはさらにウルマンガ地区とテメイ地区に分かれ、それぞれで話し合っている。


各候補者の誰がいいか、挙手で選挙。


タキタキが決まった夜の宴で。
ウル・タキタキになったタリアが、「僕はみんなの思いをとりまとめる役にすぎない。どうかどんどんアイデアを出してみんなで村をつくろう。」と演説している。

豚の重さ大会。これもアサウとトゥマセウのイトゥアラごとに分かれてする。
これはトゥマセウ側の大会。どっちの豚が重いか〜?!


タリアの1日は、朝6時、豚のために数十個のココナツを割り、硬い実を細かくカットしていく、かなり手の筋力を要する作業から始まる

その時にときどき出てくる、芽の出たココナツ「ウタヌ」のスポンジ状のふわふわした実は夢さんの大好物だ。いつもココナツを割るタリアに駆け寄ってはおねだりしていた。


そして、朝7時と夕方4時に、ココナツの樹液「カレヴェ」をとるため、ココナツに登り、若い実の固まり部分(仏縁苞ぶつえんほう)を切る。いくつか切るので、1回40分ほどはかかる。それを毎日必ず2回。

森の奥にある豚小屋に豚の世話をしに行くのも毎日2回。ココナツと残飯と森の葉の餌をやり、小屋を掃除する。


リヤカー引いて夢さんとプラカ芋畑に。タリアは夢さんのことも、毎日とても丁寧に世話してくれた。決して「今忙しいから」と言わずに、ゆっくりでも、一緒に作業していた。

プラカ芋畑で。堆肥になる木々の葉を森で集めて、埋める。ツバルはもともとは痩せたサンゴ土壌なので、堆肥やりが欠かせない。

  さてさて。

 島全体の自治を、「ファレ・カウプレ」という、アリキ(長老)をトップとする伝統ヒエラルキーが担っていることは前述した。(→社会学科バイツプ島1「どこにでもあるヒエラルキー」)

 そして、島の行政区は、さらに細かく分かれている。

 村の中央に港、広場、教会、生協ストア(TCS)、そして島集会所「マネアパ・アニプレ」がある。

 そこから北側の村を「イトゥアラ・トゥマセウ(ituala Tumaseu)」、南側の村を「イトゥアラ・アサウ(ituala Asau)」という。
 「イトゥアラ」とは、「側」とか「サイド」という意味だ。

 ツバルではどこの島でもたいてい、このように島の村を大きく2分して名前をつけている。

 バイツプ島では、さまざまな祭り・催しごとは、このふたつの「イトゥアラ」ごとに分かれてすることが多い。
 それらの基金収集や、具体的な采配を決議するのも、各「イトゥアラ」ごとの分会議だ。

 両イトゥアラに、各々、やはり6人のリーダー達がいる。 
 島全体の6人のチーフ達を、「アリキ」というのは前述のとおり。各イトゥアラの6人のリーダー達は、「タキタキ takitaki」と呼ばれる。「導く人々」という意味だ。 
 そして、島全体の最高長老がウル・アリキであるならば、ふたつのイトゥアラの各トップリーダーは「ウル・タキタキ ulu takitaki」である。
 つまり、島には、トゥマセウ側のウル・タキタキが一人、アサウ側のウル・タキタキが一人、計二人のウル・タキタキがいる。
(ちなみにやっぱり各側に副リーダーもいて、それは「スイ・タキタキ sui takitaki」(スイは交代、代表などの意味)という。)

 各イトゥアラを取り仕切るのは、この6人のタキタキに加え、秘書一人、会計一人の、各 計8人。
 この8人が、普段は月1回のイトゥアラ会議を開く。 開かれるのは各イトゥアラにある、各イトゥアラ専用の集会所。
 
 ナツと夢は北側の、イトゥアラ・トゥマセウに住む人間だった。
 そしてホームステイ家族のとうちゃん、タリアは、トゥマセウの6人のタキタキのうちのひとりだった。
バイツプ島実況写真集その2 「家族のご紹介」

 ところがこのタリアとうちゃん、毎年の定例選挙で、2005年からトップリーダー「ウル・タキタキ」に選ばれてしまった。

 ―このイトゥアラごとの選挙は、推薦と話し合い、そして挙手での多数決。だから立候補もしてないのに選ばれてしまったりもするのだ。

 その頃、ちょうど、イトゥアラ・トゥマセウの集会所前に、イトゥアラ共同で使える雨水地下タンクを建設しようという案件があった。

その資金繰り会議のために、突如タリアは、毎晩のように夜遅くまでイトゥアラ会議やら、家庭訪問をしての人々への相談やらに走り回る暮らしとなった。

 朝から鶏・豚に残飯とココナツの餌づくりをして、プラカ芋に堆肥をやり、どろんこになって働いたその日の夜は、イトゥアラのウル・タキタキとしての仕事である。

 けれども、タリアはニコニコとしてやっていた。

 それに、高床式の小屋(ウム)でちょっとゴロンとひと休みしていても、「おい、タリア」「よう、タリア」と、ひっきりなしに人が訪ねてきては、村の相談をする。

 おまけにタリアは機械に詳しい。
ポンコツトラックなんかも修理して走らせてしまう。

毎日、人が自分のバイクやら草刈機を持ってきては、「おーい、頼むよ、タリア。修理してくれぃ。」と叫ぶ。
 カウプレ(村役場)の機械工に頼むと修理代を請求されるが、タリアだとタダなのである。

 やっと人のバイクの修理が終わって、「はぁ、やれやれ。」とゴロンと横になり一休み。

 するとまた次の来客が「おーい、タリア〜」。

 でもタリアは、決して、「今ひと休みしてるから後で」とは言わない。

 「イヨオ!ヴァウラ!(こっち来いよ!)」と元気な声で招いて、たった今横にした体をスックと起こして、用件を聞く。
  人が来たときには断らず、必ず「ヴァウ!(おいで!)」と招く。それはツバル全土のしきたりだ。

 見ていると、ほとんどタリアは朝から晩まで、村の誰かとしゃべりまくっている。

 顔や手をオイルで真っ黒にしながら、バイクの修理をして、横で手伝う村人としゃべりまくっている。

そして「カカカカカッカァ〜!!」と笑いあう。

 でもちゃぁんと、森に出かけて豚の世話をして、プラカ芋やタロ芋の手入れをして、汗だくになって帰ってくる時間もさく。

とにかく一日中、しゃべりながら働いている。

 信望が厚いのだ。

だからウル・タキタキにも選ばれた。

 わたしなどは、ツバルを学ぶために村にとけこんで暮らそう、と来たもののー。
眠いときは寝ている。
タリアを横で見ていて、なんだか恥ずかしくなる。

 「しんどくない?」
タリアに聞いた。
ニカッと笑って、タリアは答えた。
「島で暮らす、っちゅうのは、こういうことだよ。
ひとりでは決して生きれない。
みぃーんなが、助け合って生きてる。
島のためにこれをやってくれ、と言われたら、
喜んでやる。
 困ってるから助けてくれ、と言われたら、
いつでも起き上がる。
 ー島で暮らす、っちゅうのは、そういうことだよ。」

 いつも泥だらけ、オイルだらけ。

 しょっちゅう水浴び(★1)してもすぐ汗臭くなるタリアのからだの匂いを、私は、いつも間近にかぎながらー。

 「南の島の楽園暮らし」の、そのプーン!!と鼻をつく、きつい汗の匂いを、かみしめていた。



★1 水浴び=ツバル語「コウコウ」(北部地方の島「カウカウ」)。通常、誰でも、朝起きたときに1回、夕方の作業の前に1回、の、毎日2回は「コウコウ」をする。普通、朝は水をザパッと浴びるだけ、夕方は石鹸で体を洗って、労働の汗を落とす。
 けれどもタリアはすぐ汗だくになるので、よく森のプラカ芋畑や豚小屋から帰ってすぐも「コウコウ」して、1日3回以上の「コウコウ」をしていた。2006年5月の水不足期だけは、そんなことはできなかったが…。
(→日本に戻って/水4「とある夜、ガンガン、ボタボタ、あぁツバル」

裏の家のキリソメが、「草刈機の調子がおかしい」と言ってきた。ふたりで2時間ほど、あーだこーだやって直した。

トマシ(前頁写真のアリキ)が「バイクがおかしくってねぇ」と持ち込んできた。タリアが真っ黒になって修理する横で、手を腰にあてておしゃべりしまくっていた…。

タリアの息子、バイチウ(当時12歳)も、自転車を自分で直していた。「父さんに教わったから、できるよ。」

石焼に土をかぶせるタリア。この中には、熱く焼けた石と、プラカ芋が入っている。この作業は、からだじゅう、土まみれ、灰まみれになる。

タリアの家は、小さな雑貨&駄菓子の店(ツバルでは英語から借りて「カンティーン」という。)もしている。輸入仕入れの関税手続きの手紙を書くタリア。

そして夜遅くまでの、イトゥアラ・トゥマセウの会議。8人の少人数なのだからもっと近くに寄って話せばいいのに。しきたりに従って、それぞれ柱にもたれて話す。と、遠いよぉ〜。
(ところでここにいる女性達は、女性組合代表。ケーキを焼いてお茶とともにこのタキタキ達に出す役割。)


執筆 2007年5月2日



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