● バイツプ島の社会構造 3

 

ー 政治あるとこ政治劇ありー


バイツプ島東端、モトゥフォウア・セカンダリー・スクール校内の海岸。
こんな海岸を前にして教室がある。
(しゃがんで貝を集めているのは4歳の夢さん。)

モトゥフォウア校、全校生徒揃っての終了式。


終了式が終わってリラックスしてる職員室。
先生がゴザしいてトランプしてます。


卒業式を終えたモトゥフォウア卒業生。17歳のぴちぴちです。ここバイツプ島の港から、まずは出身島に帰っていく。そして、フナフチの教養課程か船員学校、海外の大学、または自分の島で自給自足の暮らし…と、多様な進路が…。



青い服がロン・トニ氏。
2005年の政変で最高長老ウル・アリキの座を追われた。



もうひとりアリキの座を追われた、マイナ氏。
2005年当時77歳。



これは2005年の政変前後かわりなく、アリキのひとりである、トマシ・プアプア氏。
医者としてハワイで働いた後、独立後2代目のツバル首相を、1981年〜1989年の8年間つとめた。通算20年以上、ツバルの国会議員バイツプ島代表であった。独立後のツバルを背負ってきた人だ。2007年に69歳。
「今はもう、国家の政治は引退して、生まれ故郷の島に落ち着いているんだよ。」
トマシ氏談。

 さて、ここで英語に訳すとツバル人に知れてちょっとまずいかなという話を、人間観察的に興味深いので、日本独占報告しちゃいます。

 ナツと夢さんの家族であったタリア・サラソパ他から聞いた政治裏話だ。

2005年7月に、ツバル唯一の国立セカンダリー・スクール(日本の中学2年〜高校2年にあたる学校)、モトゥフォウア・セカンダリー・スクールの、創立100年記念祭があった。

 モトゥフォウア校はバイツプ島にある。

 ツバル全国の各9島から、14歳から17歳の約500人の男女が集まり、バイツプ島で寄宿舎暮らしを送っている。
 バイツプ島民は、手分けして彼ら一人ひとりの里親になって、あれこれの面倒をみる。国を支えていくツバル人知識層のティーン時代の4年間を見守る、重要な役目だ。

 つまり、国立モトゥフォウア校の歴史は、そのまま、バイツプ島民の大きな誇りなのだ。

 その学校の創立100年記念祭。バイツプ島、全土あげての、何日もにわたる大祭となった。

 その祭りのなか、島役場役長(=プレ・オ・カウプレ)であるセメリ氏が、酔っ払って醜態をみせたという。 (ナツはその時、日本でした。)

 もともと、ツバルでは、公衆の面前で人々が酒を飲むという習慣はなく、ココナツ酒も、うんと親しい仲間うちで、夜にこっそり飲むものだ。
 祭りの時の大ごちそう会(ツバル語で「ファカラ fakala」)は、みんな華やかに着飾って集会所に集まり、牧師の祈りで始まり、オールド・マンや主催者たちのスピーチに彩られる。
 が、アルコールっ気はいっさいない。

 そんなクリーンな祭りの社交場。その中で、酔って中央政府からの大臣達や外国からの賓客たちにからんで、式典を辱めた、―そうだ。(タリア・サラソパ談)

 その100年記念祭が終わったあと、島集会が開かれた。賓客に迷惑をかけ、バイツプ島を辱めたセメリ氏の処置をどうするか、についてだ。

 島の最高長老(=ウル・アリキ)であるロン・トニ氏と、他2名の長老(=アリキ)であるマイナ氏(タリアの父)とファカーポガ氏は、「醜態をみせた者を島役場役長にはとどめておけない」と意見した。
 この3人の主張で、セメリ氏は役長の資格を剥奪されることになった。 
  なにせ、長老(=アリキ)を長とする島のヒエラルキー「ファレ・カウプレ」は、セメリ氏が役長である島役場「カウプレ」より権威があるのだ。

 ところが。
 そのあとにセメリ氏の復讐の「根回し」が始まった。
 2007年現在はツバル首相であり、当時2005年もバイツプ島代表国会議員であった、アピサイ・イェレミア氏。酔っ払って罷免されたセメリ氏は、このアピサイの親戚だった。


 そのアピサイの強力なツテを使って、この3人のアリキの不信任案を、あるオールド・マンから出させたのだ。
 アピサイ氏親族はバイツプ島に多数いて幅をきかせている。ロン・トニ氏は、他の島民の信頼は厚かったが、アピサイ氏親族の数には勝てず、突如、最高長老、ウル・アリキの座を追われることになった。

 他の2人のアリキ、マイナ氏・ファカーポガ氏も同様に、アリキの座を奪われた。

 −誰の目に見てもこれは、あからさまな復讐、であった。
 
 さて。突然あいてしまった3人のアリキの空席に立候補して、そのままあれよあれよと新しい最高長老(=ウル・アリキ)の座についた新参者がいた。その名はペテル・ファレサウ氏。ぺテル氏もアピサイの親戚だったのでその後ろ盾に押されたのだ。
 ぺテル氏が最高長老(=ウル・アリキ)になったことで、何が世間をさわがせたか?
 ーペテル氏は歴史上はじめて、この島の伝統3大家系(トゥア家・ロトア家・キリタイ家)のどこの出身でもなかったことだ。

 6人の長老(=アリキ)は、上記の3大家系から選ばれることが、島の伝統であった。
 当然、その6人の中のトップであるウル・アリキ(最高長老)も、そのはずであったのに、だ。


 2006年5月に、ツバルを大々的な水不足が襲った。

 古い言い伝えがバイツプ島にはある。「−旱魃やプラカ芋の不作は、ふさわしくない者が島に君臨しているという天からの知らせだー」という。
 この時期、バイツプ島では、「ほら、言い伝えは本当だ」と一部の人々がささやいた。

 ナツはペテル氏をまだ直接は知らない。だから、人々のささやきが、ぺテル氏が長(おさ)としての人格を欠くからなのか、それとも単に彼がアリキ伝統三大家系からの人ではないからか、全く分からない。
 また政変の発端となったセメリ氏の言動というのも、あくまで人々の話であって、直接見たわけではない。

 ただー。
政治のあるところに政治劇あり。どろどろとした裏話あり。
 復讐劇や、しがらみや、幅をきかせる「コネ」というものー、それらが裏で渦巻いている。

 そして特に血のつながり=「親族」に多大な価値をおく伝統社会では、それらが親戚の数や力に大きく左右されるー。

 「天国に近い南の島」でも、そういう、権力の周囲に起こるドラマは、同じなのだ。

注 : バイツプ島に行かれる方は、うっかりこの話を出さないのがよいと思います。各島、意外な人と人が密接な親族関係である、とても小さな社会です。他人の中傷めいたことで口をすべらすと、それが聞き手の近い親族のことであった、ということもよくあります。

※ モトゥフォウア校生徒数の変遷=ツバル統計省ホームページ > social > education


執筆 2007年4月27日



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