● 2016年 南の人名録 3 |
― 千とハイチア ―
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サイクロンによってできた新しい海岸。ハイチアは、「NATU」「HAITIA」…と家族みんなの名前を書いた。 (2016年1月16日)
ハイチアは、ナヌマンガ島、アセナティの8人いる子どものうちの末っ子だ。兄や姉たちはもう働きに出たり上の学校だったりで、島に残っているのは知的障害のあるフアリア(★1)と、ハイチアのふたりだけだ。 |
日本からの毎回のみやげのひとつが映画のDVD。今回は「モダンタイムス」と「千と千尋の神隠し」だった。島にはテレビがないのでいつもみんな大喜びだ。 |
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8歳のハイチア。母親がござを編むためのキエの葉を木に登って採る。 キエの葉は棘がするどくて痛い。(2012年12月6日) |
母親のアセナティは働き者だ。朝早くから夜遅くまで、常に料理やござ編み他、あらゆる作業をしている。そして周りの手伝いを子どもにやらせる。その中で子どもたちが生きていく技術を習得していくように、厳しく指導する。 ハイチアは勉強が好きで、いつもクラスで一番だ。手伝いのあいまをぬっては、床にノートを広げて宿題をする。わたしにもよく質問をしてきた。ふたりで算数やら英語やら「ビジネス」教科(なんてのが、小学校でもある)の勉強をクイズみたいに楽しんだ。 |
やっと2本目の映画、「千と千尋の神隠し」を観たら、また何回も観たがった。そしてある日から、「わたし、チヒロね。」 ―自分のことをチヒロと呼ぶようになった。アセナティのことは「オカアサン」、ウィニのことは「オトウサン」、フアリアは「ユバーバ」、わたしを「ハク〜」と呼ぶようになった。その発音のきれいなこと…! |
4月。突然、わたしはあれこれの原因で坐骨神経痛を発症した。歩けないどころか5分以上は座ってもいられない。毎日のアセナティとの料理やかご編み・ござ編み、森でのラウルー葉摘み(★2)もすべてやめて、ひたすら寝て療養する暮らしとなった。 なぜユバーバ・レストランなのか、それはともかく。わたしは、アセナティが用意した杖にしがみついて、ヨタヨタと外に向かう。
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ところが数日してもまだわたしが回復しないと―。テーブルに敷かれる葉の数が少なくなってきて、そのうちなくなった。箸や醤油も忘れられている。ハイチアは丸太テーブルの横の地べたに寝っころがっている。 「千尋、仕事がぞんざいになってきたねぇ」とわたし。 ハイチアは笑いながらゴローンと転がって言った。 「チヒロは、もぉ疲れたの!」 ★2 ラウルー葉=ツバルの森に自生する山菜。バイツプ島実況写真その3 ―料理小屋は暮らしの場― |
5月。首都への船の予定が繰り上がって、3週間も早く、突然わたしはナヌマンガ島を去らねばならなくなった。家中が大慌てとなった。アセナティはわたしに持たせる工芸品を作るため、ファラの葉をとりに森にゆく。ウィニは族長の家に行き、豚を殺して親族での送別会を準備する。みんなが気ぜわしく走り回るなかで、わたしは半年分の荷物をおっぴろげて荷造りをはじめた。 |
あるときハイチアは、わたしの机に枕カバーをしいて、 花冠で飾っていた。(2016年5月9日) |
ハイチアは、今回は日本に残っているわたしの娘への手紙を書いて、わたしにことづけた。読み書きが好きなだけあって、12歳にしては表現力の豊かな、分かりやすい文だった。わたしがハイチアにそう言って、「きっとこれから素敵なものをたくさん書くだろうね。もっと読みたいよ」とつけ加えると、とても嬉しそうにニッカと笑った。 |
わたしは何をどこに入れるか考えるのに夢中で、時間が過ぎてゆくのも気づかなかったが―。 ハイチアは、まだ三角座りでじっと見ている。 外で、わたしに持たせる椰子の葉のござ(「カパウ」)のミニチュア版を編んでいるアセナティが、叫ぶ。 「ハイチア!ハサミの入ったケテ(かご)を持っておいで!」 ハイチアはシャッと立ってピューッと飛んでいく。 そしてピューッと戻ってきて、また三角座りをして、わたしをじっと見つめる。 ―ああ。これと同じことが、あった。もう死んでしまったバイツプ島のロゴばあちゃん(★3)。8年前のある日、バイツプ島で。やはり日本に帰るための荷造りをしていたわたしを、夜中の2時ごろに、起きてじっと見つめていた。 「何か手伝えることはないかい」 とロゴばあちゃんは聞いた。 「いや、荷造りは自分でしないと、何がどこに入ってるか分からなくなるから。ロゴばあは寝て。」 わたしはそう言って、せかせかと作業をした。 けれどロゴばあは、座って、じっと見ていた。そして、目に涙をためていた。 「寝て。身体を壊すよ。」とわたしは何度も言った。 けれども、ずっと、ずっと、座って見ていた。 わたしはそのとき、―はじめてのことを知った。 「ああ、こんな愛情の表現もあるんだ」と。 何もできないけれど、ただ、ずっと見つめている、という。 ふとハイチアのほうを見た。 自分の両膝をかたく抱いているハイチアの目に、涙がいっぱいあふれていた。 またアセナティが呼ぶ。 「ハイチア!」 ハイチアはまたピューッと飛んで行って、ピューッと戻ってくる。そしてまた膝を抱いて、真っ赤な目で、じっとわたしを見ている。 ロゴとハイチアは島が違うので、会ったこともない全くの他人同士だ。そしてロゴはあのとき既に年寄りで、今はもう死んでいる。ハイチアはまだ子どもだ。けれどこのふたりから、不思議に同じ深くてあたたかいものをわたしはこうして受けとめている。 ハイチアに、受けとめていることを伝えたくて、わたしは言った。 「ハイチア。日本、いつか必ず、おいでよね。」 「うん。」 「ハイチア。スポーツ(この家の仔犬)のしつけ、しっかりするんだよ。」 「うん。」 かける言葉がなくなると、わたしは黙って荷造りを進めた。 ハイチアの視線にのってくる柔らかいものをいっぱいに浴びて、身体は、生きていることの喜びでいっぱいだった。 7月。日本に帰って、ある日。 執筆 2016年9月22日 |
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