● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 1 |
― 肌からもらうもの ―
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底なしの |
ナヌマンガ島でこの年に一緒に暮らしたアセナティおば(★1)の家。そこには、16歳のフアリアという娘がいた。フアリアは、アセナティの8人いる子どもの4番目だ。16歳だけど、知っている言葉は「マミー(母ちゃん)」くらい。 ツバルの小さな島々には、ぞれぞれの島で伝統のマッサージ師というのがいる。別の島から来たマッサージ師が、アセナティとわたしに、「脳を活性化するマッサージ」というのを教えてくれた。水浴びのときに、身体に水をかけながらするマッサージだ。わたしが、朝と夕方、フアリアを水浴びさせながらこのマッサージをする役目になった。 「フアリア、カウカウしよっか。」 この南の島では、身体はすぐ汗でべとつくので、頭から水をかぶると本当に気持ちがいい。ザッパーン! だから今回のテーマは、そういう「島の人たち方式」を、いちどすっかりやってみよう、ということだった。すると自分がどうなるか、実験してみたかった。 すると―。気がついたのだ。日本で体験したことのない、えもいはれぬ充実感が、そのたびに自分の身体にはいってくることに―。フアリアの水浴びマッサージをした後は、する前より、あきらかに自分が元気になっている。エネルギーが自分の足先まで、手の指先まで、流れてくるのをどくどくと感じる。まるで自分がマッサージしてもらったみたいだ。なんだろう、このみなぎるような、生き生きした感じは。 こんなこと、日本では学校教育でも、会社でも、誰にも教えてもらわなかった。人をマッサージすると、自分のからだもその分元気になるんだよ、なんて。人の世話をすると、自分のほうが、生きる力をもらうんですよ、なんて。 「エネルギー保存の法則」なら日本の学校で習った。エネルギーはこっちからあっちに移動する。高さとして、質量として、スピードとして。その総量は同じ、って法則。そんな学校教育をとてもまじめに受けたわたしは、その感覚でいつもエネルギーのことを考えていた。ここで使えばここでは減るのがエネルギーだと。エネルギーは対象に移るのだと。でも、その法則に合わない、相乗効果で増えるこの力のこと、フアリアと体験するまで知らなかった。 こんなに不思議で、ものすごいことを、日本の街社会では子どもに教えない。なんだろう、わたしが育てられてきた、この日本という社会は。この社会では、フアリアのような人を「知的障がい児」とよんで他の子どもの暮らしから引き離す。それに赤ん坊たちも、年長の子どもから、また働く人びとから、引き離す。赤ん坊の世話は母親ひとりにおおい被せる。 フアリアの身体を毎朝、毎夕、しっかりとこすらせてもらった。ポリネシア人の肌はぷりんとしていて弾力がある。そしてきれいな褐色だ。毎日、フアリアとじゃれては、ふたりでぎゃはははぁっと笑いあった。今回ナヌマンガ島にいた5ヶ月間、そうやって暮らした。そのたびにフアリアの肌から、その輝くような大笑いの顔から、声から、あふれるような力をもらった。 いまでもその肌の熱さは、わたしのこの手を通して流れてくる。日本の街中ではときどき涸れそうになるわたしの生命力。でもこのフアリアの肌の力がもうわたしの身体の根っこに宿っていて、深いところでどくどくと流れて、わたしを支えている。 いつもからだの中にフアリアを愛おしく感じては、「今、どうしてるかなぁ」と想像する。そしてただこの思いがあふれてきて、涙がでてくるのだ。 執筆 2012年5月1日 ★1 アセナティおば=ナヌマンガ島2008年の日記―千代の富士おんなの瞳― |
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