● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 1

― 肌からもらうもの ―  


底なしの
フアリアの笑顔
(2011年1月6日)


 ナヌマンガ島でこの年に一緒に暮らしたアセナティおば(★1)の家。そこには、16歳のフアリアという娘がいた。フアリアは、アセナティの8人いる子どもの4番目だ。16歳だけど、知っている言葉は「マミー(母ちゃん)」くらい。

 ツバルの小さな島々には、ぞれぞれの島で伝統のマッサージ師というのがいる。別の島から来たマッサージ師が、アセナティとわたしに、「脳を活性化するマッサージ」というのを教えてくれた。水浴びのときに、身体に水をかけながらするマッサージだ。わたしが、朝と夕方、フアリアを水浴びさせながらこのマッサージをする役目になった。

「フアリア、カウカウしよっか。」
わたしが呼ぶ。「カウカウ」とはナヌマンガ島の言葉で「水浴び」のこと。フアリアはぱぁっと明るく笑って、わたしの方にヨタヨタと駆けてくる。

 この南の島では、身体はすぐ汗でべとつくので、頭から水をかぶると本当に気持ちがいい。ザッパーン!
「キャアアアアハハハハ〜」
ずぶ濡れになって、言葉を持たないフアリアが奇声を発する。
 父ちゃんのウィニが作った木のベンチに腰をかけてもらって、フアリアの足から、手から、石鹸でゴシゴシとしていく。ポリネシア人の16歳は、わたしよりずっと大きい。フアリアを中心にあっちこっちに移動しながらで、けっこうな体力仕事だ。そして教えてもらったとおり、まずは足の指先から指のつけ根に向けて、9回ずつ、優しくこすっていく。
「タヒ(いち)、ルア(にぃ)、トル(さん)、ファー(し)、…」
お互い楽しいように、歌うみたいに声に出してこすっていく。フアリアも声を出すことは好きだ。
「ヒ〜、ア〜、ウ〜、…」
数の概念などはないけれど、それでも、わたしの口真似をして楽しむ。
 わたしはときどき、指と指のあいだをコチョコチョして遊ぶ。
「ギャアアアアハハハハハッ〜」
フアリアはすっとんきょうな声を出して、のけぞって大笑いする。ああ、なんていい顔をして笑うんだろう。キラキラしている。わたしもおかしくなって思わず笑う。

 こんな風に、フアリアとゲラゲラ笑いあうひとときが、だんだん楽しくなっていった。いつも雑念がもつれているわたしの中に、サァッと明るい風が通る。そうして、足の指一本ずつ、手の指一本ずつ、そして足首から膝へ、手首からひじへ、身体の中心に向かって9回ずつ、ゆっくりこすっていく。それだけだ。

 フアリアの言葉が増えた。
「カウカウ!」「カウカウ!」
わたしの顔を見ては、そう言って水浴びをおねだりするようになった。
「アトゥ!カウカウ!」
そのうち、名前も覚えてくれた。アトゥ、とはわたしの名、「ナトゥ」のことだ。

 じつは最初は、「めんどうくさいなぁ」と思っていたのだ。
「朝晩、わたしかぁ…。島のあちこちに出かけて人びとの暮らしを勉強する時間も、削られるなぁ。」
でも、今回はツバルに来る前に決めていたことがあったのだ。
「自分のプロジェクト、『島の暮らしの学習』のことよりも、まずは、島の家族のためにはたらくことを優先してみよう。」
 ござの編み方、蟹の捕まえ方、草葺き屋根の組み方…まだまだ学びたいことは山ほどある。
でも6年前にわたしたち母娘が島に足を踏み入れたときから、島の人びとと自分には、根本的な違いを見ていた。その違いに、ことあるごとに驚かされた。日本で育ったわたしは、まず自分の計画のことを考える。でも島の人たちは、いつも当たり前のように、わたしたちのために時間をさいて何かをしてくれるのだ。

 だから今回のテーマは、そういう「島の人たち方式」を、いちどすっかりやってみよう、ということだった。すると自分がどうなるか、実験してみたかった。
 フアリアの世話は、その大きなひとつだった。そして毎朝、毎夕、こうしてゴッシゴッシ、フアリアの肌をこすった。

 すると―。気がついたのだ。日本で体験したことのない、えもいはれぬ充実感が、そのたびに自分の身体にはいってくることに―。フアリアの水浴びマッサージをした後は、する前より、あきらかに自分が元気になっている。エネルギーが自分の足先まで、手の指先まで、流れてくるのをどくどくと感じる。まるで自分がマッサージしてもらったみたいだ。なんだろう、このみなぎるような、生き生きした感じは。
「今日は疲れているから、フアリアのマッサージをしたらゴロンとしよう。」
そう思っていたのが、マッサージの後にはおかしいくらい元気になって、森にラウルー葉(★2)を採りに行ったり、ココナツを削る仕事にとりかかったりした。

 こんなこと、日本では学校教育でも、会社でも、誰にも教えてもらわなかった。人をマッサージすると、自分のからだもその分元気になるんだよ、なんて。人の世話をすると、自分のほうが、生きる力をもらうんですよ、なんて。

 「エネルギー保存の法則」なら日本の学校で習った。エネルギーはこっちからあっちに移動する。高さとして、質量として、スピードとして。その総量は同じ、って法則。そんな学校教育をとてもまじめに受けたわたしは、その感覚でいつもエネルギーのことを考えていた。ここで使えばここでは減るのがエネルギーだと。エネルギーは対象に移るのだと。でも、その法則に合わない、相乗効果で増えるこの力のこと、フアリアと体験するまで知らなかった。

 こんなに不思議で、ものすごいことを、日本の街社会では子どもに教えない。なんだろう、わたしが育てられてきた、この日本という社会は。この社会では、フアリアのような人を「知的障がい児」とよんで他の子どもの暮らしから引き離す。それに赤ん坊たちも、年長の子どもから、また働く人びとから、引き離す。赤ん坊の世話は母親ひとりにおおい被せる。
 日本で小学生・中高生だったわたしは、フアリアのような人と友だちになることはなかった。赤ん坊さえ触れたことはなかった。誰の世話にも時間をとられることはなく、すべての時間を「自分の人生のための勉強に励みなさい」と言われた。若かったわたしはそんな社会で、なにを喜びに生きていけばいいのか分からず、摂食障害などの神経症に陥った。―そしてこの日本社会では、毎年3万人が自殺によって死んでいる。

 フアリアの身体を毎朝、毎夕、しっかりとこすらせてもらった。ポリネシア人の肌はぷりんとしていて弾力がある。そしてきれいな褐色だ。毎日、フアリアとじゃれては、ふたりでぎゃはははぁっと笑いあった。今回ナヌマンガ島にいた5ヶ月間、そうやって暮らした。そのたびにフアリアの肌から、その輝くような大笑いの顔から、声から、あふれるような力をもらった。

 いまでもその肌の熱さは、わたしのこの手を通して流れてくる。日本の街中ではときどき涸れそうになるわたしの生命力。でもこのフアリアの肌の力がもうわたしの身体の根っこに宿っていて、深いところでどくどくと流れて、わたしを支えている。

いつもからだの中にフアリアを愛おしく感じては、「今、どうしてるかなぁ」と想像する。そしてただこの思いがあふれてきて、涙がでてくるのだ。
「ああ、ありがとう、フアリア。ありがとう。ありがとう―。」

執筆 2012年5月1日

★1 アセナティおば=ナヌマンガ島2008年の日記―千代の富士おんなの瞳―
2008年をともに過ごしたマロソーばあちゃんは、2010年秋に逝ってしまいました。そこで今回はその姪のアセナティの家に暮らしました。

★2 ラウルー葉=ツバルの森に自生する山菜。バイツプ島実況写真その3 ―料理小屋は暮らしの場―




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