● 2008年版
    
序章 
ー 海に沈むより先に 


親族ラロイフィと子ども達がニュージーランドに発つ。プラカ芋の大料理会で送り出す。 バイツプ島 2006年5月6日


 2004年、前ページの「序章」を書いて、ツバルに出発しました。
 「半年間、あり金が尽きるまで、住んでみよう」との決意でした。

 ところがこの後、たまたまツバル首都フナフチで日本からの取材メディアのコーディネートの仕事をいただいて生活資金を得て、さらに長期住むことが可能になったのです。
2007年までに計1年3ヶ月、ツバルに暮らしています。
 ほんとうにありがたいことです。お世話になった方々すべてに、心から感謝します。

 さて。

 この決意を書いた2004年から今までに、大きく学んだことがあります。

 この時、日本で得た情報から、「数十年後には沈むのでは、と危惧されている国のひとつだ。1980年代からは、その兆候である水害がだんだん目立ってきている。」と書きました。

 ところが実際に現地に住んでみると。
 
 まず、すべての「沈むツバル」報道は、9つの島のうち一番海抜が低い首都の島のみでの取材にもとづいていた、ということがわかりました。つまり正確を期すならば、「沈むツバル」ではなく、「沈むフナフチ」という問題だったのです。

 そして、その首都フナフチに起こっている、年に一度の大潮時の洪水現象さえも。

ひとえに温暖化による海面上昇の現象、というよりは―。もっと直接的な、この島に対する人災であることを知りました。

 第2次世界大戦中、アメリカ進駐軍がこの島の土地の大改造をしたのです。
 脆弱なサンゴの島の中心にあった海水湖・沼・プラカ芋畑を埋め立て、滑走路をつくるために、島のあちこちから土を採掘してボコボコにしました。
★1

 人為的な改造は海岸線でもなされました。

 首都の西側(ラグーン側)は、やはりアメリカ進駐軍により広範囲に25〜30m海側に埋め立て拡張されています。
★2 
 また、道路建設用の骨材を採るために、このラグーン側のサンゴ礁を掘削したので、海底に穴が開いている状態で、その穴に海岸線の砂が流れ込み、侵食が進んでいます。
★3

 
そんな侵食状態の海岸線で、倒壊したヤシの木をブラウン管で流して、「温暖化による海面上昇でこのようにヤシの木が倒れています。」と言うアナウンスは、正確な報道ではありません。

 一般にマスメディアは、センセーショナルで分かりやすいテーマひとつに焦点を絞って番組や記事を企画します。

 「海面上昇問題」で番組や記事を企画すると、予算を組んでツバルに来て、日本であらかじめ作っておいた番組台本に沿うシーンのみを、急いで撮り集めます。
 その過程で、現実のもっと複雑な要素が見えてきても、予算・取材期間の都合上、ほとんど見て見ぬふりで、カットしてしまいます。

 気候変動政府間パネル(IPCC)により、近年のツバル近海で
、毎年2.0±1.7mmの上昇が報告されています。つまり、実際にこの辺りでは海面上昇は、年2mmずつほどは、起こっているのです。
 しかしそれを誇張し、視覚で分かりやすいからといって、洪水のシーンと結びつけて報道し、戦争の傷跡や、土木整備のために人間がこの小さなサンゴの島を切り刻んだ歴史に目をふせて、それは報道しないのは、どうでしょうか。 

 このように、マスメディアを通してくる情報は。
あらゆる複合的事実・背景の詳細は視聴者・読者に伝えられないで省略されていることが、実は非常に多いのだ、ということを、ツバルで知りました。

 ツバルで取材メディアの内部に入り込んで多くの仕事をすることで、現代マスメディア社会のもつ、深刻な盲点を発見することになりました。

 ことに環境問題において、このような複合的背景の軽視がなされると、何が問題かー。

 たとえば、失礼ですが私には資本主義のお雇い言説としか思えない『環境問題はなぜウソがまかりとおるのか』(武田邦彦氏)のように、スキを狙う人々に足元をすくわれます。「ほら、海面上昇なんてウソなんだ。誇張だ。でっちあげだ。」などと論理性のない不必要な批判を受けるネタを、自らつくってしまうことになると思うのです。
★4

 環境問題においては、短絡化、多様な他要素の見落としは、危険です。


ツバルにゴミ焼却施設はない。けれどもみんな当然、輸入品は買い続けたい。 首都フナフチ 2005年3月22日


 そしてもうひとつ。
 もっと見過ごされがちな、人間の本質、というものがあります。

 この2004年の文では、「ツバルの人たちは、自給自足の暮らしをしているのに、私たち先進国が原因で沈むのだ」と書きました。

 ところが実際に、一緒に暮らしてみると。

 多くのツバル人の若者が、先進国と同じ物質文明を求めて、出身島での自給自足の暮らしを捨て、ドイツ貨物船の乗組員や首都フナフチまたはニュージーランドでの貨幣経済の都市生活を選んでいます。
 多くの20代のツバル青年たちは、わたしにこう言いました。
「プラカ芋や漁なんて、時代遅れだ。もう要らない。
日本のようにコンピューターや工業に強くなって、進んだ国にしたいんだ。」
「生まれた島より、フナフチ(首都)がいい。
フナフチより、ニュージーランドがいい。たくさんの物があるから。豊かな暮らしができるから。」

 そのようにしてツバル国中の島から首都フナフチに大勢が移り住むため、19世紀末に250人であったフナフチの人口は今ではツバル全人口の半分の約6000人に膨れ上がっています。

 約1.4km四方の四角の中に6000人、という人口密度です。

 フナフチ環礁の水質汚濁ひいてはサンゴの白化現象。そして真水枯渇の原因は、すべて異常気象と海面上昇のせいだと報道されてきました。
 しかし、この過密人口の人間が排出する汚水、そしてこの大集団が吸い尽くすフナフチの真水。異常なまでの人口の激増が、環境に影響を及ぼさないわけはないのです。
★5


 文明と環境の問題を正確に観察しようとするならば。
 人類を単純に「被害者」と「加害者」には、分けられません。

「純朴な自給自足の民の島が、アメリカや日本の先進国文明のために海に沈む。」
そういう勧善懲悪的なとらえ方が陳腐であることが、どんどん変化を求めるツバル人たちと暮らしを共にしていると、痛いほど分かってきました。
  これこそが、いつもツバル離島での私の煩悶でした。

 ツバルの人の中にも、私たちの中にも、目先の便利さや物質の豊かさを追って、地球を壊していく強烈な要素が、同じようにあるのです。 

 わたしは、今後、そのひとりひとりの、内側にある精神の問題をこそ、掘り下げて凝視していきたいー、そう思っています。

 「物質による効率化」「物質による娯楽」、それらに惹かれてやまない、すべての人間の心。
 さらに、物質を追う進歩の過程で身につけてきたもうひとつの価値観。
それは、何らかの「達成」や「名誉」によって満たされようとする心。

 −それらがすべてひとつの鎖で繋がって、人間の中に深く宿り、地球を蝕んでいるように感じられます。


世界の誰もが、DVDは観たい。PCもしたい。 バイツプ島 2005年1月7日

 
 ツバルは急激なスピードで、変容していってます。

 「今・この瞬間」をゆったりと味わう土と海と木々の暮らしから、― 日本と同じ、達成主義、目的志向、進歩主義の価値観へと。
 いつも「空を見て、笑って、感じ、土と海の匂いと手触りの中で汗にまみれる」暮らしから、「計画を立て、考え、アスファルトとコンクリートの中で活動する」暮らしへと。
 そして、目的の迅速且つ効率的達成のために多くの物質を道具として消費する文明国へと。
島にいると、その加速度化する変化の様を毎日見ました。

 海に沈むよりずっと早くに。
ツバル自体が、地球の滅亡に貢献する物質消費国へと変貌するでしょう ー。

 これが、わたしの実感からくる予測です。
これはほとんど、まちがいないでしょう。

 そして2008年現在。
 ―それでも、わたしはツバル離島でプラカ芋畑で泥だらけになることや、パンダナス葉のござを織ることが、好きでたまらないのです。泥の匂い、パンダナス葉の手触り。自分の手がそれらを動かすときの音。体の芯が強烈に満たされます。胸が締めつけられるほど、大好きなのです。

 また、離島に行きます。 
 ただ、好きなことを求めて。 ただ、やもたてもたまらず。
たとえ、土と海の未来がはかなくても、ただ、ただ、それらを、わたしの体が恋焦がれてやまないのです。

 ひとり、ひとりの魂が、ほんとうにその魂の揺さぶられることを追うー 。
ただ死ぬほど渇望することは何かを、見極め続ける。
 ひとり、ひとりが、頭ではなく、からだが心底から震撼することを見極めて生きれば、それが集合体となったとき、大きな身体である地球も、喜ぶことになるのではないか…。
 現代物理学では説明されていない、そんなエネルギーの法則があるのではないか…。
 そんな仮説を抱きながら。

 生きるエネルギーは、どこから湧いてくるのでしょう…。
それは、目の前の人や有機物の匂い、手触り。生々しい音。汗。快感。
 わたしにとって、どうあっても確かなことは、それらしかないのです。
島でござを織るときの、手の中でかすれるパンダナス葉のかさかさとした感触。
森でココナツを拾い続けるときの汗。
それらが引力のように、またわたしをツバル離島に吸いつけます。
 
 そして7歳になった娘、夢さん。ツバル名モエミティ。
 今回も、「ついて行く。」と言ってくれました。
 
 たとえ母親になっても、心の躍動を求め続けるわたしにとって。
自分の魂が欲する土地に、愛する娘がついて来てくれること。
これほど身に余る幸せはありません。
 ほんとうにありがとう、夢さん。

 でも、彼女がそう言うのも、今回が最後かもしれない。
そんな覚悟もぼんやりと湧いています。

 2008年のツバル・離島。海と土にまみれる暮らしで。
そしてツバルの文明化をまのあたりにする暮らしで。
わたしナツは、そして7歳の夢さんは、どう変わっていくのでしょう。
そして、これほど深いことをわたしに教え続けてくれるツバルの家族たちに、何ができるでしょう。
 そしてみなさんに、どんな赤裸々なご報告が、できるでしょう。
どうか、待っていてください。ご報告します。

 そして、同じように離島の素朴な暮らしと人々に心を突き動かされる人は。
 来てください。ツバルの離島に。 

 いっしょに、体験しましょう。
予期していなかったたくさん、たくさんの深いショックや煩悶を。
 ―そして、深い喜びを。

2008年 2月17日

 ○ 参考文献 ○
 

★1 McQuarrie,Peter,1994 'Strategic Atolls. Tuvalu and Second World War' Macmilllan Brown Centre for pacific Studies, University of Canterbury, University of the South Pacific

★2 Webb, Arther. 2006 'Tuvalu Technical Report-Coastal change analysis using multi-temporal image comparisons - Funafuti Atoll SOPAC Project Report vol.54,Suva'

★3 山田和仁、芹沢真澄、大野栄治、三村信男、西岡秀三 1996’気候変動・海面上昇に対するツバルの脆弱性 南太平洋の極端に標高の低いサンゴ礁島嶼国の例としてー SPREP’

★4 武田邦彦『環境問題はなぜウソがまかりとおるのか』の論理がおかしいことについては、JanJan誌上鉄田憲男の論説が分かりやすいと思います。

★5 Yamano Hiroya, Kayanne Hajime, Yamaguchi Toru.. 'Atoll island vulnerability to flooding and inundation revealed by historical reconstruction: Fongafale Islet, Funafuti Atoll, Tuvalu'

★ また、国際開発ジャーナル誌2008年記事 小林泉氏「ツバルの真実(全4回連載)」第1回・第2回を当サイトに掲載いたしました。こちらもご参考ください。(2010年7月29日追記)





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