● 小林 泉さんによる         ―国際開発ジャーナル誌2008年8月号より転載― 

 

ー水没国家 ツバルの真実 −

第1回 “温暖化キャンペーン”で沈む島


 「ツバルって沈むの?」というご質問が多く寄せられます。マスメディアの情報によって、ツバルというとそのイメージが広まっています。わたしは離島の暮らしを探求していますが、この問題は首都・フナフチ環礁の問題といえるでしょう。ツバルの首都の実態を記事にされた小林泉氏と、掲載誌国際開発ジャーナル社のご厚意により、氏の記事を転載いたします。ご参考になればと思います。
 連載は8月号〜11月号まで全4回。そのうち1回・2回をご紹介いたします。、すべての号のバックナンバーが発売されています。このサイト上では掲載しない3回・4回ではツバルの実態をふまえた上で、ツバルにての国際協力の展望を検討しておられます。ご興味のある方は、ぜひご参考にしてください。



― 以下 転載記事 ―

  地球温暖化の象徴的な島となっているツバル。しかし近年、この水没しつつある島の意外な一面がわかってきた。ここから見える国際協力や開発援助のあるべき姿とは―



● 小林 泉(こばやし いずみ) ●

1948年、東京生まれ。大阪学院大学教授(農業経済学博士)。太平洋諸島地域研究所理事などを務める。国際関係論、国際開発学、オセアニア地域研究などを専攻。著書に『太平洋島嶼諸国論』、『ミクロネシアの小さな国々』、『地域研究概論』など多数。





大潮の満潮時に水没する様子。多くのメディアがこのような写真を効果的に使っている。(写真提供:茅根創氏)

ツバルをめぐる誤解

  今年は、京都議定書でCO2の排出削減目標を定めた第一約束期間(2008−2012)の初年度に当たる。近年、地球環境への関心が急速に高まっているのは、そのためだろう。そうした中、地球温暖化被害のシンボルとして世界のマスコミに注目されているのが、太平洋の環礁国家ツバルである。

  9つの環礁を合わせた国土の総面積は、わずかに26平方キロ。この極小国ツバルの存在を知る一般日本人は、ほんの数年前まで皆無に等しかった。しかし今やツバルの名は、環境問題に関心を抱く人たちなら誰もが分かるほどの知名度を誇っている。それは、大新聞各紙やテレビ各局が、こぞって「海面上昇で沈みゆく国」として紹介しているからだ。このところ私自身も、「ツバルって、もうすぐ沈んで無くなっちゃうんでしょ」といった質問を頻繁に受ける。それも、いつものステレオタイプなマスコミ報道のおかげだ。しかし私が、「ツバル問題と海面上昇とは当面無関係です」と答えると、決まって怪訝な顔をされる。さらに「あの海域では、目立った海面上昇は起きていないので、マスコミ報道は誤りだ」と言えば、もうほとんどアホか変人扱いされてしまうのである。


  このようなツバル認識が、井戸端会議や茶飲み話の段階に留まっているのなら、ことさら目くじらを立てる必要もないだろう。そればかりか、ツバルがきっかけで一般人の地球環境への関心が高まるのであれば、むしろ良いことではないかとの見方もある。だが、環境問題の専門家や国際協力の関係者にまで同様の誤解が及んでいるとすれば、このまま放置するわけにはいかない。環境変化への対策を立てるにせよ、適切な国際協力の実施計画を策定するにしろ、それが事実認識に基づいていなければ有効な策に結びつかないし、かえって被害を広げることにもなりかねないからだ。


湿地を埋め立てた島

  まず始めに、ツバルの実情理解から始めよう。行ったことも聞いたこともない、南の島での出来事。海岸浸食でなぎ倒されたヤシの木々、さらには庭先から溢れ出る水でプール状になった映像や写真を、温暖化による海面上昇の結果だとの説明付きで見せられれば、誰も疑う術を持たない。ツバル問題への誤解は、ここから始まっている。

  だが、この小さな環礁島で起こっている海岸浸食や毎年2月から3月の大潮の満潮時に地面から滾々とわき出る海水の噴出現象は、海面上昇とは無縁である。それは、人の手による環境破壊と社会的圧力による結果なのだ。

  9環礁からなるツバルの中心は、陸地総面積3平方キロのフナフチ環礁である。数珠繋ぎに30ほどの珊瑚洲島が連なる中で、三日月状の最大陸地部分を形成するのがフォンガファレ島だ。最大幅は700メートル、面積は88ヘクタール、これは東京ドーム約19個分の広さに相当する。ここに飛行機の滑走路や政府庁舎、警察署、消防署など、この国の中枢がすべて集中している。

  1892年にイギリスがエリス諸島の名でこの地を植民地にした直後の報告書資料によれば、フォンガファレはその大半がマングロープ林で覆われた湿地で、満潮時にはわずかな陸地にあいた無数の穴から海水が湧き出ていたとある。この湿地が現在の様相に変わったのは、太平洋戦争当時のことだ。日本軍は真珠湾攻撃の勢いに乗じて、近隣のギルバート諸島(現在のキリバス共和国)にまで進軍した。これに対抗したアメリカは、1942年の9月にブルドーザー、クレーンなどの重機器とともに総勢1,088名の海兵隊をフナフチ環礁に上陸させ、わずか5週間でこの湿地を埋め立て、戦闘機の離発着用に1,500メートル超の滑走路を完成させた。埋め立ての土砂は環礁内の別の洲島はもちろん、フォンガファレ島内からも採掘・調達された。

  いま島を歩くと、いたる所に池のような水たまりやゴミ捨て場になった窪地がみられる。これらがボロービットと呼ばれるブルドーザーによる土砂の採掘穴で、大潮の時はここからも水が吹き出る。比較的幅の広い珊瑚洲島では、しみ込んだ雨水が地下にある海水との比重差によって、その上にレンズ状の帯水層を形成する。そのため、平たい島でも井戸を掘れば真水が取れるのだが、フォンガファレの場合はこの真水帯層がほとんどない。湿地以外のわずかな陸地部分も、アメリカ軍により地下層が破壊されたからだ。「大潮の時に水が噴き出すのは、わしらの子どもの時からだ」と私の質問に70歳代と思われる老人が答えてくれたが、要するにフォンガファレの水浸しは、近年の気候変動とは無関係の現象だったことが、昔の資料や年配者らの証言からも裏付けられる。


人口急増で居住地不足

 さらにまた、1978年の「国家の独立」が島事情を激変させた。それは、島の人口膨張に顕著に現れている。19世紀末にはフナフチ環礁に住む人は200人程度、独立前の1973年の調査でも871人に過ぎなかった。これが独立5年後には2,620人、さらに現在では、国民人口9,652人の半数強に当たる5,300人もが暮らす島へと変貌した。しかも新規来島者は、陸で繋がっていない洲島には住まないから、増加人口のほとんどがわずか88ヘクタールのフォンガファレに集中したのである。

 この狭い陸地で人口が急膨張すればどうなるのか。これまで居住地としては不適だった海岸ぎりぎりの砂地や水が湧き出るボロービットの上にも住居を建てる。もちろん家屋ばかりではない。一国家を形成するには、議会や行政府、そして警察、消防などの行政関連施設、さらには学校、病院等々も必要で、いずれもフォンガファレに置かれた。これだけで十分に重量オバーだから、それらが織りなす社会的圧力で、この島はいまにも沈みそうなのだ。

  こうした諸問題は、現代という国際社会の中で、主権独立国として存在し続けなければならない極小国家が噴出させた矛盾として捉えるべきなのだ。つまり、これこそがほんとうのツバル問題なのであって、海面上昇云々ではないことが理解されるだろう。この本質に目を向けずにツバル問題に関われば、自らの行為はやがて物笑いの徒労に終わり、ツバル側には被害の拡大や不利益をもたらすかもしれない。


ツバル問題は政治社会問題

  ツバルの水没問題がマスコミで盛んに取り上げられるようになったのは2002年、いわゆる「ヨハネスブルグ地球サミット」が開催された年だった。このタイミングで、時のツバル首相コロア・タラケは、温暖化被害による「環境難民」の認定を国連に求める一方で、温暖化対策に消極的なアメリカやオーストラリアを相手に、国際司法裁判所に提訴する意志を表明した。すると、世界のマスコミや環境問題の運動家たちが、こぞってこの動きに関心を示したのである。タラケ首相の思惑は、見事に的中した。

  私がこのニュースを聞いてすぐさま思い浮かべたのは、70年代のある出来事だった。あの時、マーシャル諸島の自治政府は、アメリカに核実験の被曝補償を求めて連邦裁判所への提訴を表明した。アメリカの反核運動家や弁護士団が乗り込んできて、マーシャルの政治家らに被曝補償金獲得の知恵を授け、成功報酬目的で訴訟手続きや対アメリカ交渉の役割を引き受けたのだった。ツバルにも同じように外からの働きかけがあったに違いない、と私は思った。案の定、環境問題に熱心なオーストラリアの弁護士団が押し掛けて、対外アピールの知恵を授け、訴訟のための労力を提供していたのである。

  結局、温暖化と島の浸水被害との因果関係を科学的に立証できないとして訴訟には至らず、国連での難民認定もならなかったが、ツバルが世界中の注目を集めたという点で目的は十分に果たしたと言っていい。

  というのも、ツバルにはこの年に世界の先進国、とりわけ域内のオーストラリア、ニュージーランドに国の窮状をアピールしたいもう一つの理由があったからだ。それは、海外出稼ぎ労働者の帰国問題だった。ツバルの北西にあるナウル共和国は燐鉱石で世界有数の国民所得を誇っていたが、今世紀に入って資源が枯渇し、キリバスから2,000人、ツバルから1,000人来ていた労働者を解雇・帰国させることになったのである。そして、この年が帰国勧告の最終年だった。人口の約1割が一度に帰国すれば、まさに島は沈むかもしれない。これを避ける方策は、帰国者たちの移住先を別に見つける以外にはない。この時期に水没危機を国際的にアピールする政治的意味は、ここにあったのである。この労働移民事情は、域内島嶼国の構造を特徴づける重要な問題を含んでいるだけに、これに関しては次回以降で詳述したい。

  このようにツバルの水没問題は、極小島嶼事情から発した現象でありながら、近隣先進国との政治的な思惑とも絡みあって、ことさら地球温暖化問題に結びつけられてきたのである。私は、こうした事実認識抜きに、ツバル問題の本質には迫れないと考えている。

(次号につづく)


転載 2010年7月29日



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小林泉氏 
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