● 小林 泉さんによる           ―国際開発ジャーナル誌2008年9月号より転載― 

 

ー水没国家 ツバルの真実 −

第2回 国家建設という名の環境破壊


― 以下 転載記事 ―

  地球温暖化の象徴的な島となっているツバル。しかし近年、この水没しつつある島の意外な一面がわかってきた。ここから見える国際協力や開発援助のあるべき姿とは―



● 小林 泉(こばやし いずみ) ●

1948年、東京生まれ。大阪学院大学教授(農業経済学博士)。太平洋諸島地域研究所理事などを務める。国際関係論、国際開発学、オセアニア地域研究などを専攻。著書に『太平洋島嶼諸国論』、『ミクロネシアの小さな国々』、『地域研究概論』など多数。




投棄されたゴミの山。ペットボトルやアルミ缶など、もともと島にはなかったものばかりだ。

気候変動と海面上昇

  前号で私は、ツバルの水没現象は人的な環境破壊と社会的圧力が原因であって、とりあえず海面上昇とは無関係だと強調した。

  それは、何でもかんでも気候変動による海面上昇と結びつけて、危機感を煽るばかりのマスコミ報道に懸念を抱いたからでもある。政治的思惑や環境ブームに乗じた思い込みを排除して実情を把握しなければ、真の問題解決にはつながらない。とはいえ、これだけ気候変動が話題になっているのだから、もう少しツバルの海面上昇や人的環境破壊の内実に触れておこう。


  フナフチの政府庁舎裏の桟橋には、1993年に潮位計が設置された。このデータを使ってハワイ大学の学者は、明らかに潮位上昇が起こっていると報告している。一方、同じデータを分析したオーストラリアの国立潮位学研究所は、過去10年間で目立った潮位の上昇は確認されないと結論付けた。さらにツバル気象局長ヴァヴァエ氏の論文に至っては、信じがたい結果だと前置きしながらも、潮位計設置後の75カ月間で13.75センチ、年平均で2.2センチの海面低下を報告しているのである。

  潮位とは常に動くもの。気圧や風力を含めた複雑な要因も作用するので、素人には生のデータから何も読み取れない。ましてや、専門学者らの論争の正否を判断する術を私は持たない。そこで、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第4次報告書に依拠してみると、そこには過去50年で海面が10センチ上昇し、さらに今世紀末には18〜59センチ上昇すると記されている。

  最大予測値近くまで海面が上昇すれば、ツバルは確実に水没する。だが、サンゴ礁研究の第一人者である東大の茅根創教授は、「フォンガファレの海水噴出や海岸浸食は他に原因があり、現状では海面上昇があるにしても影響はごく僅かだ」と言う。同教授は、考古学の山口徹慶大准教授、その他の専門研究者らとチームを組み、フナフチ環礁やマーシャルのマジュロ環礁などの実地調査を重ね、実証データに基づく論文や調査報告書を出している。彼らの知見も借りて、サンゴ礁島の成り立ちを説明してみよう。

  最終氷河期の最寒期の海面は、今より100〜150メートル低かった。それが1万年ほど前から温暖化で徐々に海面が上昇し、沢山の島々が沈んだ。しかし、水温18度以上の海域にある島々では、造礁サンゴが上昇する海面を追って低潮位の海面ギリギリまで成長したため、完全には水没しなかった。そして4000年ほど前に、今より1〜2メートル高い位置で安定。さらに2000年前からは水位が下がり始め、海面上に顔をだしたサンゴ礁の上に有孔虫やサンゴの砂(さ)礫(れき)が堆積した。現在のサンゴ洲島は、このようにできたのだ。太平洋の環礁島住民は、それ以降に島に住み着いたと考えられる。


環境汚染が海岸浸食を促進

  こうした地球史的観点からツバルの環境問題を捉えれば、海面上昇よりもむしろ、人間の直接活動による環境汚染にこそ喫緊の危機感を持たねばならないのではないだろうか。

  その危機を象徴する事例の一つが有孔虫の減少だ。あまり聞き慣れない名だが、この虫は石灰質の殻をもった体長1、2ミリ以下の原生生物で、1年で数百に分裂して猛烈に個体を増やすのだ。いわゆる「星の砂」がこれで、南海の白砂の大部は、この虫の死骸から形成されている。この有孔虫は砂の生産工場だと言っていい。

  ところが、フナフチ環礁では排水汚染による環境の劣化で有孔虫数が激減、もしくは生息しない(できない)場所が広がっている。この調査を実施した茅根教授らは、「海面上昇よりもむしろ、有孔虫の減少こそが海岸浸食を深刻にしている主原因」だと考えている。砂は風波や海流によって流されるのが常だが、その流出部分の復元を担っていたのが有孔虫だったからだ。

  海岸や砂州の浸食を強める原因は他にもある。護岸工事やコーズウェイなどの構造物の建設がそれである。これにより海流が変わり、地形に変化を起こす。現に、フナフチ環礁のテブカ島では、浸食された砂浜の反対側が水没どころか新たに砂が堆積し、年々陸地が広がっている。太平洋諸島応用地球科学委員会の調査でも、フォンガファレ島の陸地面積が1984年以降の20年で0.28%拡大していることが確認されているのである。

  「水没する国」として広く喧伝されてきたツバルだが、科学的な調査のたびに「陸地の拡大」や「海面の低下」といった従来イメージを否定する実証データが出てくるのは、なんとも皮肉なことだ。ここにも、「温暖化→海面上昇→水没」という単純図式では捉えきれない、ツバル問題の複雑さを垣間見ることができる。


ゴミ問題は国家危機の縮図

  それでは、ツバルが抱える真の国家的危機とは何か。

  それは、人口過密による環境汚染、生活嗜好と生産様式の変化による伝統社会の崩壊、グローバル化への適応等々から生じる、極小国家ゆえの諸矛盾なのである。フォンガファレを歩けば、これら矛盾がゴミ問題に縮図化されているのが見えてくる。いくつものボロービット(水が湧き出すくぼみ)や島の北端は、さながら野積みのゴミ投棄場と化している。ツバル政府の推定値では、家庭ゴミだけで年間約700トン、その他に政府機関や商業施設の廃棄物、さらには廃家電や廃車・機器まで加わって、これが年々蓄積されていく。また、病院から出る医療廃棄物は焼却処分する決まりだが、07年に私自身が行った調査では、焼却炉自体が機能していないことが確認された。現状では、この島にゴミの分別処理やリサイクルシステムなども存在しない。今もなお、島の最北端まで運んで投棄するだけの処理が続けられている。

  ゴミと同様に深刻なのが屎尿処理である。フォンガファレの人口約5千人が年間排出する屎尿量は推計475トンにも上る。島のトイレは、簡便な浄化槽を経て未処理のまま土壌に染み込ませる仕組みだ。さらに人口に相当する数の飼育豚からでる糞尿排水も、そのまま垂れ流されている。これが地下水や有孔虫の生息環境を破壊する汚染源となっている。その結果、生活水も天水に頼るだけになった。このままでは、海面上昇で水没する前に人が住めない島になってしまうだろう。

  これらはみな、近代国家の建設過程で生じた著しい人口集中が原因していることに疑いの余地はない。ツバルの環礁は地球温暖化という同じ条件下にありながら、フナフチ環礁だけに目立った環境危機が迫っている事実が、何よりもそれを証明している。


極小国家の形成矛盾

  ここで一つの疑問が湧いてくる。ツバル政府は、なぜ自明な危機原因に適切な手段を講じないのであろうか。

  実はそれこそが、極小島嶼が抱える国家矛盾に他ならない。本来、太平洋の大方の島嶼では、許容人口の範囲であれば、原初的豊かさを享受できた。ところが、西欧の植民地化を経て独立国家として歩み出すや、突如として貧しく、無知で、不慣れな新興国に陥ることを余儀なくされたのである。

  独立を境に昨日と今日では、島の実情には何の変わりもない。それなのになぜ、突如貧しくなるのか、なぜ無知になるのか。それは、物質も形式も価値観も、全てが島には存在しなかったもので国造りを始めねばならなかったからだ。旧宗主国や先進国は、これを資金的、技術的、思想的に支援した。理由は簡単である。国際社会の一員に迎え入れるためだ。しかし、ツバルにとっては、近代国家造りを強要されたと同じことだ。拒めば、現代という国際社会では生存し得ないからである。

  ツバルのゴミの山が、その全てを物語っている。ポリ袋、アルミ缶、鉄屑、古タイヤ。いずれも島にはなかった物ばかりだ。バナナの皮や椰子の実の飲み殻は、庭先に放れば土壌に返って循環したが、外来物はツバル人に蓄積された知恵では処理できず、ゴミの山を築くばかりだ。その一方で、生活の基盤となる狭い陸地が細っていく。これが国際協力という善意の名で行われた行為の結果なのだ。ツバルは、今の形式で独立国家となった時点から、今日的進化を方向付けられたと言っても過言ではない。つまり、そもそも極小環礁が国際基準に合わせた国民国家を建設する行為自体にこそ、無理と矛盾が内包されていた。これが、ツバル政府が自ら危機回避できない理由だ。

  ツバルの場合は極小ゆえに、諸矛盾が著しく目に見えて表面化した。しかしこの矛盾は、太平洋島嶼に共通する本質的な問題だ。それゆえに私は、これらの現実を素通りして、なんでも海面上昇にすり替えてしまう単純で軽薄な議論の洪水に憂慮しているのである。これでは、島々が“気候変動問題の肴”にされるだけで、住民を本当の危機から救う議論につながるとは到底思えない。

  では、どうすればいいのか。次回は、具体的なツバルの危機対策や国際協力の方向を考察してみたい。

(次号につづく)


― 転載記事 以上 ―

  連載は8月号〜11月号まで全4回。そのうち1回・2回をご紹介いたしました。すべての号のバックナンバーが発売されています。このサイト上では掲載していない3回・4回では、ツバルの実態をふまえた上で、ツバルにての国際協力の展望を検討しておられます。ご興味のある方は、ぜひご参考にしてください。


転載 2010年7月29日



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小林泉氏 
― 水没国家ツバルの真実 ―
第1回 “温暖化キャンペーン”で沈む島