「星の砂の絵本をツバルに」プロジェクト
ご報告1 ツバルにて 


  数々の事情で遅れたプロジェクト。お待たせいたしました。やっと、ご報告ができます。


  2015年3月にみなさまにご報告するはずが、3ヶ月、遅れました。6月7日に、ようやく首都フナフチの市民に絵本が配られたのです。順を追って、ご報告いたします。

  まず2月。わたしたちはツバルに行きました。メンバーは、最大規模の寄付を関東ライオンズクラブで集めてくださった岡野ただおさん、この絵本プロジェクトを3年前からひとりで企画していた、もとJICA有孔虫プロジェクトコーディネーターの松舘文子さん、そして筆者ナツ(もんでん奈津代)の三人。

  さて。1000部の絵本を効果的に各家庭に配るには―?



ツバルの首都フナフチは、多くの小島がリング状に環礁を囲んでいます。一番手前が、7000人がひしめくフォンガファレ島。他の小島はほとんどが無人島。


ツバル国教会総本部にて、話し合い。
(撮影:岡野氏)

  松舘さんの計画はこうでした。ツバル人は日曜日、教会に通います。その元締めは、「ツバル国教会(Ekalesia Kelisiano Tuvalu)」です。人々の尊敬を集めている教会で日曜日のミサの後、有孔虫の説明とともに配ってもらえたら―。市民の信頼が得られ、普及率も高いのではないか。

  その計画にもんでんも賛成。三人でツバル国教会総本部事務所に談判に行きました。そして、話し合いは大成功。当時在任していた国教会総長代理カウトア氏は、「フナフチの海の環境保全に、教会としてひと役買おう」とこころよく言ってくれました。



  しかし、ここで大きな問題が発生。
日本で絵本の貨物にアクシデントが起こって出航が遅れ、わたしたちのツバル滞在中には届かないことになってしまいました。教会での絵本配布をこの目で確認したかったけれど、起こってしまったことはしかたがない。松舘さんともんでんは、港の貨物取り扱い代理店やツバル水産庁などを走り回り、わたしたちが日本に帰国した後にツバルに届く絵本貨物の管理や、教会への輸送を強くお願いしました。みんな、りっぱに印刷された大判の絵本に目を見張り、おおむね喜んで協力をうけあってくれました。

 

教会総本部で、話し合いを終えて。

  またツバル・メディア局に行って、絵本についての広報もお願いしました。(このあと、ニュースレターに載ったそうですが、原物は未確認。)松舘さんはまた、税関に関税免除依頼のレターを書く。…などなどの、絵本配布のための手配を完了。実際の配布には間に合いませんでしたが、まずまず、ひと安心となりました。



  さて、1000部のうち30部だけは飛行機で持ち込みました。(空路はエクセス荷物料金が高いので30部が限界。)教会や水産庁など、今後のプロジェクトを担う機関に進呈し、残りは一冊ずつ、知人の家を回って配り、反応を見ました。
 この「民家一件一件訪問」で筆者ナツが気づいたことを、聞いてください。それは、首都フナフチの従来の住民であるフナフチ人たちと、離島から来た人々の反応の違いです。

各家庭を一件いっけん、回って説明してみる。これは「フナフチ在住ナヌマンガ島人」たちの家。(撮影:岡野氏)

★ツバルは首都フナフチと、離島8島でできています。
ツバル国内の島々案内

  どこの国でも同じですが、首都たるもの、そのほとんどの住人は「上京」してきた他の地方の出身者です。しかしそこには当然、先祖代々その土地にいた「原住」の人々もいます。ツバルの首都フナフチの場合、7000人弱の住民のうち、約1000人が原住フナフチ人です。(ツバル語で「チノ・フナフチ」といいます。「チノtino」=「人」)

  そして、これが海洋民族ツバル人の特徴ですが、離島からの出身者約6000人は固定の人々ではなく、常に移動しているのです。
  もんでんは、約二年にいちどツバルに半年以上滞在する暮らしを続けています。すると毎回ツバルに来るたびに、二年前にバイツプ島で、またナヌマンガ島でご近所だった家族がフナフチに移っているのにごっそりと会います。「ありゃ、引っ越してきたの。」「うん、フナフチで店をしている姉に手伝いを頼まれててね。」「あれっ!あんたもフナフチにいるの!」「うん、病院通いや、いろいろでね。一年くらいで島に戻るかな。」「島の警察から、首都の警察に転勤になったんだ。」

  逆に二年前に、フナフチでおなじみであった人々が、今回は出身島に帰っています。「テマルペ?あぁ、学校を卒業したから島に帰ったよ。」「チアレシ?停年退職で島に帰ったよ。」
  ツバル国内にとどまりません。「ライナはどこ?」「ニュージーランドだよ。移住している息子家族の孫の世話で。いつ帰ってくるかわからんよ。」「テアトゥは?」「半年前からフィジーだよ。4年くらい、海外奨学金で職業留学だって。」
  こんなふうにツバルでは、ひさしぶりに会うと、互いの親戚や共通の知人が今どの島で暮らしているかを話題にするのが挨拶なのです。それほどにみんな、人生においてのフットワークが軽い。定住型が基本の日本人とは、根底から違うのです。そして首都フナフチはそんな軽いフットワークのツバル人の国内外の中継地点であり、ハブである場所。フナフチ人以外は、ほとんど「仮住まい」の人々でできた町なのです。


  さて。わが家族「フナフチ暮らしバイツプ島人」たちに、絵本を見せて説明すると、こんな感じでした。「なに、海流をさえぎると有孔虫が運ばれなくなるのか。じゃ、うちのバイツプ島の長い埠頭はどうなんだ。あれもよくないのか。」「へぇ、オレンジ色の砂は有孔虫なの。じゃ、うちのバイツプ島の北の砂浜が一面にオレンジ色だったのは、有孔虫ね。星の形してたわ。ってことは、バイツプ島は大丈夫よね!」話題はたちまち、フナフチのことから、バイツプ島のことにうつるのです。

  なじみの「フナフチ暮らしナヌマンガ島人」の家にもっていくと。「あら、きれいな本!これは子どもたちが言葉を勉強するのに最適だわ。ナヌマンガ島ではこんなの手に入らない。島の家族に送っていい?」

大判でカラーの絵本というもの自体がツバルではまずお目にかかれない。
  どこのナヌマンガ島家族の家でも、みんながナヌマンガ島に絵本を送りたいという。「でもこれは、これからもフナフチに住む人に、フナフチの海をきれいにするために読んでほしいのだけど」と、わたしも負けじと主張する。けれどフナフチ環礁の深刻な現状を説明しても、いまひとつピンとこない。―どうも関心がない、という顔でした。十年以上フナフチに暮らしている人たちでも、そうなのです。
  フナフチ暮らしが長くても、関心と愛着はみんな自分の「わが島」。フットワークの軽い海洋民族ツバル人の、もうひとつのこのおもしろい人間心理。


フナフチは超過密化。早朝、漁から帰ってきたフナフチ人のアイスボックスに、離島出身者たちは魚を買うためにわれさきにとひしめく。
  「一時的に」「仮住まい感覚で」首都に滞在しているほとんどの人の首都への「薄い」関心をどう高めるか、というのは大きな課題です。
  相対的に現代の生活様式が環境にもたらす影響自体に関心を持ってもらう、という、価値観的啓蒙しかないのでしょうか。しかしそれもドグマに陥る危険があります。そもそもそんな資格が外国人にあるのでしょうか。また、人間という動物の、自分の関心があることしか見えない本能というのは、現代日本の潮流をみても認めざるをえません。―これは、課題です。 


  さてしかし。原住フナフチ人たち(「チノ・フナフチ」)の家庭は、反応が違っていました。有孔虫のことを詳しく質問してきたり、過去のフナフチの開発がどうサンゴや有孔虫を危機に陥れてきたのかの説明に、身をのりだすように聞き入ってくれました。質問が出るので、過去5年間のJICA有孔虫プログラムの報告書のなかの図をとりだして説明したりもしました。そこまでつっこんだ議論がわいたのは、必ずフナフチ人の家ででした。「手ごたえあり!」という感触だったのです。
  やはりどの島のひとも、自分の島への深い愛情。アイデンティティのよるべはふるさとの島―。これがツバル人です。

過密都市フナフチでは、生鮮食品はとにかく手に入りにくい。農場の野菜も朝早くに並んで買う。(台湾政府援助農場にて)

  原住フナフチ人の中には、「そもそも離島の人々がおおぜい押しよせて、フナフチの海をだめにしたんだ」と腹をたてている人もいました。
  また、ある長老はこう言いました。「コーズウェイ(海流をせきとめてしまった、小島と小島をつなげている埋め立て道路)を橋にして下の海流を蘇らせる案っていうのは、いままで聞いたことがないぞ。きちんとフナフチ島会議(フナフチ人のみの民衆会議)で提案してくれないもんかね。フナフチ人長老たちなら、事情を分かれば乗り気になる。そして海外援助を募ったらいい。政府?政府はだめだよ。政府は他島出身者の集まりだから、フナフチのことは、長い展望をもって考えてはくれないよ」

  この手ごたえの違いを感じてからは、手持ちの絵本はできるだけフナフチ人たちのところに配り歩きました。

  首都フナフチのこの住民構造の特徴は、今後フナフチ環礁で環境プロジェクトをする海外機関には、まず理解してほしい、と思いました。在野のわたしにできることは、こうして日本のみなさんに、そしてツバルで出会う海外からのグループに体験を伝えることです。

  しかし、この10年で「ツバルのみんなは本当にフットワークの軽い、真の海洋民族だなぁ」とは感じていたものの―。1000人の原住フナフチ人と他6000人の離島出身者の、フナフチへの関心の、これほどの違いというのは、今回一件いっけん、フナフチ環礁を題材にしたこの絵本を配り歩いてみて、はじめて手にとるように分かってきました。
  足で歩いて、そして現地の言葉で、くつろいだ各家庭で語り合ってはじめて見えてくることとはこういうことか。―と、わたしは、人生上の気づきの多い今回のフナフチ訪問でした。
 わたしにツバルについて、人間についての学びを与えてくれたこの絵本プロジェクトと、松舘さん、そしてそれを支えてくださったみなさんに、こころから、深く感謝します。


 さて、こうして二月末に日本に帰国。それからのご報告は「ご報告2」に。


 ★ 「星の砂の絵本をツバルに」プロジェクト もくじ ★

1 「星の砂の絵本をツバルに」プロジェクトとは 

2 ご寄付総計と経費のご報告

3 ご報告1 ツバルにて (このページ)

4 ご報告2 帰国後

●  星の砂の絵本 『笑顔の島のつくりかた』 日本語版
   ぜひ読んでみてください。

● ツバル語ソング「海から生まれた国」
   有孔虫のことをツバル人に広めるために作った歌です。
   ツバルの映像とともにYouTubeにて。