● 2016年 南の人名録  5

   ― フェロの実 1 ―



ござや草スカートに織り込む赤や黒の葉(「ガレガレ」)を染めるため、
青いキエの葉を木から切り落としたモウカ。
キエの葉は非常に鋭い棘が両側と背に走っている。
(2008年10月28日)


  「で、ツバルへは、何しに来たんだい。」
モウカはまっすぐわたしを見て、低い声で聞いた。
眉が太くて、キリッとつりあがっている。唇も太くて、口元がキュッと締まっている。そんなモウカは、おばさんというより、男の貫禄があった。

  モウカが、初めて挨拶に行ったわたしにそう聞いたのは、2005年。モウカの息子とわたしの当時のお隣さんの娘テクアの結婚式、それに続く三日間の結婚「祭り」が終わった翌日だった。当時まだナヌマンガ島に来てまもないわたしはテクアのブライドメイドの役を仰せつかった。花嫁とブライドメイドは、三日間、日が昇る前に起きて、新しいツーピースドレスに新しい草スカート・花冠という盛装で花婿の家のまわりを掃きそうじするのが慣わしだった。しかし、この「お祭り」の準備で既にくたくたに疲れていたわたしは、二日目、寝坊した。半人前の外国人のブライドメイドは、まだ花婿の両親と挨拶もしていなかった。花嫁・花婿両家とも、この三日間は上へ下への大騒ぎ。そんななので、静けさを取り戻した四日目に、花婿の実家をあらためて訪ねたのだ。

  フリーの外国人を前にするツバル人の反応には、大きく分けて2種類がある。ひとつは、とにかく無条件に受け入れてくれるタイプ。もろ手を挙げてハグしてくれる。あれこれ詮索もしない。その満面の笑顔は「これぞ南の島の人びと!」という日本人のイメージをうらぎらない。
  もうひとつは、小さい国といえど、自国のプライドを大切にしよう、というタイプ。ツバルについての堅苦しい解説を(聞いてもいないのに)したり、相手の渡航目的を詳しく聞いたりする。首都フナフチで会う政治家に多い。
  この離島ナヌマンガ島の、花婿の母ちゃんが、その後者の面持ちでわたしに対したので、いきなり緊張した。モウカは島の婦人会の会長も長年やっている。島では「やり手」の社会派女性だった。さてわたしは、ただのフーテンの流離人(さすらいびと)に思われないように、と自分の目的をかしこまって述べた。先進国日本社会には多くの問題が勃発している。犯罪・精神病理・自殺の多発、原発などの環境問題。それらの解決のヒントを、まだ狩猟採集が営まれているツバル離島伝統社会に探りに来ているのだ。そういうことを執筆したいのだ。うんぬん。かんぬん。(本当は、自分がそういう暮らしを体験するのが大好き、というのが一番なのだが、同じことでも大義名分的に述べる。)



火を焚きつけるため椰子の殻を盛るモウカ。
(2011年3月15日)

  後者の政治家タイプはわたしを緊張させるが、あってしかるべきだとは思う。南太平洋に浮かぶ極少の島国といえど、そこには歴史があり、社会制度があり、人びとは真剣に生きている。ただ「楽園だ」と、バカンスのみに来て、土地の人々の暮らしを顧みないのは失礼だろう。だいいち、島の人びとの労働を、できる限り朝から夜まで模倣して共に暮らしてみると、身体がキツイ。とれる食べ物がなくて腹が減るときもある。「ただの楽園」なんてのは地球上どこにもないことをひしひしと実感する。自分達の苦労や伝統・習慣を何も知らない外来者に無頓着に踏まれたくない、と思うのは、島の人間としてあまりにも当然だ。
  だから、緊張はするけど、誠意をもって答える。

  といっても、当時まだツバル語歴数ヶ月のわたしの大義名分は―「ニッポン、シアワセナイ、ナゼカ、ココ、タベモノ、マイニチ、トル、ワタシ、サガス、カク、シタイ…」みたいに聞こえたかもしれない。
  つたない言葉を一生懸命振り絞ろうとするわたしを気の毒に思ったか、モウカの目元がゆるみ―。結婚式の残りの豚などを出してくれた。
それがモウカとわたしの出会いだった。


  そんな貫禄オンナのモウカと、6年後の2011年、一緒に住むハメになった。
その頃からわたしと娘は、今もナヌマンガ島での一番の家族、ウィニとアセナティの夫婦の家にいた。その年、首都にいるこの家の娘リノが結婚することになり、アセナティは娘の結婚の世話のため2ヶ月ほどこのナヌマンガ島を留守にする。しかしこの家には、トイレさえ自分ではできない重度の知的障がいを持ったもうひとりの娘フアリア(★1)がいる。モウカは、その父親ウィニのいとこだった。アセナティは、モウカに、留守中この家に泊まりこんでフアリアの世話をするよう頼んだのだ。

★1 フアリア → ナヌマンガ島の日の出「肌からもらうもの」
 


  ツバルの伝統的しきたりのひとつ。男の妻と、その男の姉妹は特別にあれこれと助け合う。そして「いとこ」は兄弟姉妹のうちだ。どうあっても共同作業が必須で、親戚の中での仲たがいが特に禁忌である小さな島の社会。そのなかでスムーズに互いの暮らしを営んでいくための、おんなたちの知恵から来る「慣わし」だ。こういう島のしきたりの意味の奥深さには、ドキンとする。男の妻と、その男の姉妹・従姉妹の間で頼みごとがあれば、基本、断らないというのがルールなのだ。

  かくて、アセナティの留守宅にモウカは、編みかけのゴザと、夫マラカイを連れてやって来た。このときちょうど60歳の婦人会会長。その働きっぷりはなんとも美しかった。フアリアを水浴びさせ、フアリアがそそうをして大便まみれになった床を洗って拭いて、その後に自分の水浴びをしてパシッと身支度をして島の会議にでかける。帰ってきたらシャッ!シャッ!とキエの葉をさばいてゴザを編む。

  その横でマラカイは、毎日、椰子の殻で飛び魚を焼いてくれた。いまもウィニは、「マラカイじいさんと一緒に住んだときは、毎日、まいにち、メシが焼いた飛び魚だったなぁ。」と笑う。

ござを編むモウカ。(2011年3月9日)


  わたしもモウカのゴザを一緒に編んだ。そんなときモウカは、手元はすばやくキエの葉をさばきながら、「日本の政治はどんなだ。」「日本の女たちはどんな暮らしをしているんだ。」と、やっぱり社会的観点からいろいろと聞いてきた。
  最初モウカは、わたしがフアリアの水浴びや下の世話をするのを見て、びっくりして言った。
「外国人にそんなことはさせられない。わたしはフアリアの伯母だから、わたしがやるのが当然だ。」
  けれど以前からわたしも毎日フアリアの世話もしていたこと、また、朝夕の水浴び、三度の食べ物を口に運ぶこと、そそうをしたときの掃除がすべてひとりの人間でできることではないと分かってからは、わたしたち二人が共同で世話をするのだという意識に同調してくれた。


野鳥を椰子の茎に刺して焼くモウカとマラカイ。(2013年5月16日)

  そんな二ヶ月が過ぎて、モウカとマラカイが自分達の家に帰ってからは、わたしはすっかり気楽に二人をたずねるようになった。
  ふたりもわたしが来ると、「ナツ!ハウ!(おいで)」と言って、なんだかんだ、とりとめもないことをしゃべったり、野鳥を食べさせてくれたりする。

  ひとつ屋根の下に暮らすということは、文句なく人と人の距離を近くする。先進国育ちのわたしが南太平洋が好きな大きな理由のひとつだ。
  都会では趣味を共有しているとか、志向が似ているとかで友人ができ、連帯感を感じ、孤独が癒されたりする。


けれど本当は人って、もっと基本的なところで繋がりがあるもんでない?と、無意識層でずっと感じてきたことだ。 いろんな人が、生きることのベースの、底のほうで。いや実は繋がっているんだけど、都会では人と人の暮らしに距離をとるので、間接的すぎて実感できない。それが、南太平洋では、常にいろんなタイプの人間がごっちゃに一緒に食って寝て、いろんなものを分け合うので、毎日、毎日、いやというほど肌で実感する。プライバシーを確保するにはちと工夫が要るが、このことのプラス効果がすばらしい。精神が、底のあたりでドーンと安定してくるのだ。


  さて。今回2016年の初めにナヌマンガ島に帰ったら、モウカは調子が悪かった。咳がでる。わたしは熱湯を沸かしてモウカの喉を湿らした。するとだいぶ楽だというので、これをしょっちゅうするように、とえらそうに看護婦的アドバイスをした。

  たずねるたびにゴホゴホと咳きこむモウカは、それでも、前の年にわたしが首都フナフチで手伝った、日本の松舘さんの絵本プロジェクト(★2)のことを聞いてきた。ツバルの島々は多くは、土地の4分の3以上が海の底の有孔虫でできていること、だからいたずらに埋め立てや堤防などで海の自然の状態を変えると、有孔虫が生息できなくて、かえって島が小さくなっていくことなど説明すると。この話を聞く多くのツバル人は、今ひとつよく分からないけど適当に機嫌よく聞いてくれる、という風情なのだが―。モウカは、まっすぐにわたしを見て、「その虫とはどんなものだ。」と真剣に質問してくれた。有孔虫のこと、今首都フナフチで起きている土地問題を語った。フナフチの政治家たちが、モウカくらい食い下がってくれたらどんなにいいか!と感じた。

★2 絵本プロジェクト 
ツバルの首都フナフチは、土地開発・埋め立て・人口激増などにより、島の生成源である有孔虫が激減して、島の土地が脆弱化する問題が起きている。それらをツバル人に知ってもらおうと2015年に首都で絵本を配ったプロジェクト。
→ 「星の砂の絵本をツバルに」プロジェクトとは
 



 今回のナヌマンガ島では、ウィニとアセナティの家のフアタンガ(ブレッドフルーツ)があまり実らず、また蟻の害で森の蟹も獲れず、なんとなくひもじいことが多かった。
  輸入のビスケットにココナツを削ってのっけたり、熟れたココナツのスポンジ状になった中身「ウタヌ」をシャワシャワと食べたりしていた日。ウィニが「森でフェロを見つけた。」と言った。
「採りに行こう!」と身を乗りだしたわたし。
ウィニのバイクの背に乗って、ふたりでビュウン!と出かけた。


( → フェロの実 2 に続く )


森の中で実をつけるフェロの木を見つけると、感動。
(2016年4月18日)





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