● 2016年 南の人名録 5 |
― フェロの実 2 ―
|
茹でたフェロの実を臼にうつす。この臼は硬いギエの木からウィニが作った。 (2016年4月19日)
|
● ファカハーカヴァ・フェロの作り方 ● |
||||||
@ |
小枝・葉ごと森から刈ってきたフェロを プチプチ摘む。 (写真はこの話の4年前、家族みんなで 「プチプチ」作業の時) |
A |
柔らかくするために茹でてから、 臼でひたすらついていく。 ドン!ドン!ドン! これがかなりの肉体労働。 |
|||
B |
フェロの実がつぶれたら、削ったココナツを混ぜる。 ココナツはこのように削ったものをそのまま 使う場合は、割る前に殻の外の毛を丹念に ナイフでそぎ落とさねばならない。 (殻の毛が食べ物に入ってしまうのを避けるため。) |
C |
ココナツを混ぜたらさらにドン!ドン!ドン! とよくつく。 そして、水と、このカレヴェ(椰子の木から採集する樹液)を混ぜる。 |
|||
D |
よく混ぜ、味を見て、足りないと思う材料を足す。 (ツバルの郷土料理はすべて味を見ながら調整。 材料を計ることは決してない!) |
E |
出来上がり…! 椰子の殻の椀(「タリ」)についで、ずずっとやる。 うまいっ! |
|||
★ 「ファカハーカヴァ(Fakahakava)」は、火を通したものにココナツの削ったのとカレヴェ(椰子の樹液)・水を混ぜた汁状の料理のこと。首都フナフチ環礁・バイツプ島などのツバル中央では「ファカサーカヴァ(Fakasakava)」という。熟したココナツの中身のスポンジ状の実=ウタヌ(Utanu・英語 geminating coconuts)でこれを作る「ファカハーカヴァ・ウタヌ(Fakahakava Utanu)」(中央ではファカサーカヴァ・ウタヌ Fakasakava Utanu)もある。 |
フェロの葉や細い枝は豚の大好物なので、森では枝ごと刈る。大きな袋で村に持って帰り、家でプチプチと実を摘み、豚小屋に運ぶ枝葉と分けるのだ。わたしは数日ぶりの島自産のごちそうにすっかりはりきり、ひとりでプチプチ作業をした。プチプチ、ひたすらプチプチ。しかし大量だ。プチプチ。 ―延々とやって次の日、腰を痛めた。またやってしまった。はりきりバカ。 ぐつぐつ焚き、臼でドン!ドン!ドン!とこれまた根気よくつく。フェロの鮮やかな橙(だいだい)色。これに真っ白なココナツの削り節を混ぜるときのときめき。その頃はアセナティが近年の更年期障害で体調が悪かったので、アセナティには指南を頼み、ひとりで島民きどりでその日の家の食料分を作業した。 そんなとき、モウカの家の嫁、テクアが立ち寄った。わたしはテクアに、モウカの様子を聞く。 すると「あぁ、うちのばあさん、食欲ないのよね。」とテクア。 「ライシを食べたがらないからね。年寄りだから、島のモンしか食べないんだ。だから面倒くさいのよ。」 島のモン、とは昔からの食べ物―島のブレッドフルーツ、パパイア、プラカ芋、そういう意味だ。「ライシ」とは近年輸入が盛んになってきているオーストラリアからの白米(ライス)のことだ。ナヌマンガ島でも、すぐ炊けて楽だし甘くておいしいというので、若い夫婦家庭は「ライシ食」中心が増えている。 できあがったオレンジ色に光る「ファカハーカヴァ・フェロ」。ふつふつと生のエネルギーが噴水のように吹き上げてくる。椰子の殻についで、ひとくちすすると。 ―これぞ生命…!この数日のひもじさが吹き飛んだ。わたしはアセナティに言った。 「これ、わたしらの病気のばあちゃんに届けていいかな?」 アセナティは即答した。 「すぐに持って行ってやりな。」 壁のない母屋で横になっていたモウカは、道を来るわたしを見ると起きた。四角い大きな2リットルサイズのアイスクリームボールに入ったファカハーカヴァ・フェロと、アセナティがブレッドフルーツの葉に包んだ、ウィニの釣ってきたマグロの素焼き。 分かるのだ。白い輸入のライシ(米)じゃ、食べている気がしない、っていうの。この島で育った命が食べたい、っていうの。わたしも、日々、口に入るものをみんなでとってくる、その生きている実感がたまらない。それらの命のうまさがたまらない。数日食べ物がとれないと、ビスケットやライシなど輸入の食べ物はあるけれど―「生きている感」がしぼんでくるのが分かる。フェロの実を前にした喜び。それを今、しっかとモウカと共有している。 あとで家に容器を返しに来たテクアが言った。 首都への船の予定が急に前倒しになって、3週間早くわたしが島を去らねばならなくなったとき。わたしは、荷物と一緒に、ポンコツの自動三輪トラックに揺られて、港に向かった。(ナヌマンガ島の港は、単なる海辺だが。)運転するのは父ちゃんのウィニ。ガタゴト激しく揺れる車は、モウカの家の前でガゴン、バルルンと、一時停止した。ウィニが言った。 三日間の船旅のあと、首都フナフチでのあわただしい1ヶ月がまたたく間に過ぎた。いよいよ明日、日本に帰るため、フィジー行きの飛行機に乗るという2016年6月15日。近所に住んでいたアセナティの娘リノが、家に島からの伝言をつたえに来た。 その晩は、首都フナフチでのウチの家族―バイツプ島のタリアの息子家族たち―が、わたしのための送別会を用意していた。だからわたしは、時を同じくするモウカの葬式には出席することができなかった。(ツバル社会では、離島で人が死ぬと、首都フナフチでも、またフィジーやニュージーランドのツバルコミュニティでも、故人の親類縁者が集まって「葬式」をする。)わたしは香典に添える、マラカイじいさんへの長い手紙を書いて、首都にいるモウカとマラカイの息子に届けた。 ツバルと日本を行き来する暮らしをしていると、いつも大切な人の死に目に会えない。だから、心の整理に時間がかかる。 「モウカ、ありがとう。ファカハーカヴァ・フェロをあんなに喜んで食べてくれて、ありがとう。
|