● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 6

― 幸せの草ぶき小屋 ―



プアの木で小屋の屋根を組むウィニ
(2011年2月3日)


  この家の父ちゃん、ウィニが風邪をこじらせた。
夜中に咳きこんでいる。胸の奥から絞りだすような、ただならぬ激しい咳。ゲェホッ、ゲゲェェホッ!
 ところが同じ部屋に積み重なるように雑魚寝(ざこね)しているおんな子どもたちは、全くどこ吹く風。ぐっすりだ。ズー、ズーといびきをかいている。これが島の人間のたくましさか。
  ウィニの咳で起きるのはわたしだけだ。咳きこんでばかりで眠れないでいるウィニ。眠れなければ風邪もよくならない。熱い湯の湯気で喉をしめらしてやろう。
  ところが、夜中に湯を用意するのは、この島では大変なことだ。料理は外で椰子の皮で火をおこしてする。真っ暗闇の戸外で椰子の皮と格闘するのは至難のわざ。そうだ、壊れかけの灯油コンロがあった。よし。
  コンロに灯油をいれ、取っ手のとれた細いカネの栓をグリグリひねってマッチをする。火がゴォォォッと燃えあがっる。真っ黒い煙がもうもうと調理場に充満する。栓を少し締めてしばらく待つとやっと火が弱まる。水を入れたヤカンをおくとヤカンは真っ黒の煤(すす)だらけになる。そんなこんなして沸かした湯をマグカップに満たして、ウィニの寝るゴザに持っていった。
「ウィニ、カップに口をつけて、湯気を吸って。」
「ゴエホッ!…ああ…」
ウィニの口もとでカップを支える。ウィニはモクモク湯気の中でゆっくりと深呼吸を繰り返した。しばらく吸入をすると、ウィニは言った。
「コ・レイ(具合がいいよ)、…レイ。」
そのまま、ゆっくりと眠りについた。

 そんなことを夜中に繰り返した。ひどい夜には、喉を湿(しめ)らせて眠っても数時間するとまたむせかえる。わたしはふたたび起きて調理場に走り、マッチをする。夜中に二、三度、ボロボロの灯油コンロと真っ黒な煤(すす)と格闘する。
―そのうち、ウィニはすっかり元気になった。わたしは、嬉しかった。
  以前この島で、亡きマロソーばあちゃんの家に住んでいたとき。日射病で熱にうなされたわたしを、ばあちゃんはずっとさすってくれた。眠たかったろう、疲れたろう。わたしは、高熱で朦朧(もうろう)とした意識のなかで、いつもひとりじゃないことを感じていた。あたたかい優しいものに包まれていた。芯からほっとした。島の家族がわたしにしてくれたことを、自分も人にしてみたかったのだ。

  日が過ぎた。椰子ガ二を獲りにアセナティと森にいったり、寄宿舎にはいる子どものためにアセナティとござを編んだり、親戚の結婚式のためにドラム缶でケーキを焼いたり…島の日常はまたたくまに過ぎていった。
 そんなある日、アセナティや子どもたちと椰子の皮で火をたいて料理をしていると。ウィニが家にはない自動三輪トラックを運転して帰ってきた。バルルルルッ!親戚から借りてきたのだ。
「プアの木を切りに森に行く。」
「なんで?」と妻のアセナティ。
「ナツの小屋を作ろうや。ファラ(パンダナス葉)で屋根をふいて。」
「ハ〜ナ!」
「ハーナ」とはこの島の感嘆詞。「あれまぁ」という意味。アセナティがわたしを振りかえってニカッと笑った。

  二十年ほど前までは、このナヌマンガ島では、家々はすべてファラの葉で屋根をふいた「草ぶきの家」だった。ところがしだいに輸入のトタン屋根に替わっていき、草ぶきの家は、いまは数えるほどしかない。けれどもトタン屋根の家は暑い。トタンに吸収された燃えるような太陽熱は、下にいる人間を直撃する。壁はないけれど、それでも蒸し風呂だ。この家も十年前にトタンにかえていた。わたしはいつもその屋根の下で暑い暑いと言っては、よく森の向こうの草ぶき屋根の小屋に涼(すず)みに行った。
アセナティの父親、亡きオシエじいちゃんの小屋だ。草ぶき屋根の下は、サァッと涼しい。心身が洗われる。南の島で生きる人びとの知恵が凝縮されているのだ。このオシエじいの小屋は、三年前にアセナティとわたしでファラの葉を縫い、屋根を葺(ふ)きなおしたものだ。(★1) 自分が額(ひたい)に汗して縫った屋根の下で大の字に寝転んで、ぐぅーっとのびをするのは最高の気分だった。
  そしてウィニとアセナティは、そんな島の伝統が大好きなわたしをよく知っていたのだ。


★1 オシエじいちゃんの小屋の屋根作り=ナヌマンガ島2008年の日記―屋根材を縫う―



  バルルルルッとエンジンのなる自動三輪トラックに、子どもたちが飛び乗った。小さなトラックで島の森をドライブするのは、最高のレジャーだ。あちこちの森を回って、手ごろなプアの木を見つけては、ウィニが切り倒す。それを子どもたちとわたしで、トラックに運ぶ。

 帰るとすぐ、十一歳のフィメマがナイフでプアの木の皮を削りだした。七歳のハイチアや、十歳の夢さんも、嬉々としてまねをする。三人の子どもたちは、はしゃぎながら木の皮を削り続けた。


夢中でプアの木の皮を削る夢さん(モエミティ)
(2011年1月22日)


  削れた木を数日間乾かした後。ウィニはカナヅチをゴンゴンとやって、骨組みを建てはじめた。アセナティとわたしは三年前と同じように、ファラの葉をなめして、屋根材を縫う。家族のみんなが、この小屋のためにワクワクと作業をした。

  縫いあがった屋根材を、ウィニとわたしとで屋根の骨組みに縛っては葺(ふ)いていく。三年前にも葺いたけど、すっかり忘れている。ウィニの手元を見たり、ノートを引っぱり出してきて苦戦した。(★2)

★2 三年前の屋根葺(ふ)き=ナヌマンガ島2008年の日記―草ぶき屋根のふきかえ―


屋根葺(ふ)きの日。みんなが嬉々としていた。わたしは疲れて横になる。
(2011年2月4日)

 昼どきになると、子どもたちが家の裏の火床から、ふかしたブレッドフルーツと焼いた飛び魚を運んできた。
  まだ屋根は半分しかない、畳2畳(じょう)ほどの小屋。その上にひしめくように乗って、ワイワイと昼ごはん。みんなが小屋にいたいのだ。冗談を言いあって大笑いをする。


  プアの木の柱。椰子の葉の骨を並べて組んだ床。ファラの葉の屋根。小さな、ちいさな小屋。それがこんなに美しいのは、長年育(はぐく)まれてきた島の森と、人間の知恵がひとつになっているからだ。そして、楽しんで作る人たちの明るい心も、キラキラとつまっている。
  森に木を切りに行ってから二週間で完成した小屋。その小さな美しい小屋は、幸せそのものの姿だった。



  わたしは執筆をするときには暑いトタン屋根の母屋を逃れ、この小屋に文机と資料をおっぴろげて作業した。

 通りを行く人々が「あらっ、ファレラウ(草ぶきの小屋)じゃない。いいねぇ〜。」と言って立ち寄る。くっちゃべって、わたしの横でゴロンとしていく。学校帰りの子どもたちが来て、わたしにくっついて、教えた折り紙をして遊ぶ。毎日いろんな人がこの小さな空間で涼んでいく。


できあがった小屋をわたしが使わないときは、ウィニが昼寝をした。
(2011年4月16日)


 またひとつ、この島で、ひとの創りだすものの美しさに、魂の底から震撼した。
 ―世界がこんなに美しいところだったなんて、知らなかった。


執筆 2012年 6月26日
修正 2015年10月21日





次ページ: