● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 7 |
― 天国の代償 ―
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島の毎日は美しい。 (2011年4月23日)
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仔犬をなめ続ける母犬 (2011年3月4日) |
この家の犬が仔犬を産んだ。床下で母親になめられる生まれたばかりの赤ん坊犬を、七歳のハイチアや十歳の夢さんと一緒に見つめた。新しい命が、キラキラしていた。
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犬のノミだった。この犬母子はひどくノミに食われていて、すでにこの家の周りそこらじゅうの地面はノミだらけになっていたのだ。毎日歩くたびに、ピョンピョンと地面から足を登り、服の中を上半身まであがってくる。ついにわたしは全身、ノミ食いで赤い斑点だらけになった。 ノミのかゆさは、蚊の比べものにならない。からだ中がじんじんとうずいて、夜、眠れない。次の日は寝不足でフラフラ、森での仕事どころじゃない。何日も眠れない日が続き、起き上がれなくなった。昼も寝床でかゆさにうなされていた。一週間ほど病人のように暮らしたのち、島の看護婦にきつい睡眠薬をもらった。それでやっと一度は眠れた。 |
蚊と同様、ノミにも食われやすい人とそうではない人がいるようで、この家ではわたしが集中攻撃された。七歳のハイチアはその次にひどく、がまんできずにかきむしって両足が穴ぼこだらけだ。 |
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別のできごともあった。事故だ。 集会所で葬式の手伝いをしていたとき。古い大きなシーリングファンが天井でゴォン、ゴォンと回っていた。忙しく立ち働いていたわたしは、突然、後ろから首筋をガーン!と何ものかに激しくブンなぐられて倒れ、真っ暗になった。気がつくと、おおぜいの人びとがわたしをとり囲んでいる。壊れた金属性のファンが転がっていた。ファンが天井から抜け落ち、回転したまま、後ろを向いたわたしに飛んできたのだ。かなりの衝撃だったが、それでも首をかすめただけだった。もし直撃していたら、命はなかった。日本ならそんなずさんな安全管理はありえない。けれども島の人びとは、みんなただこう叫んだ。 「マヌイア(めでたい)!神がナツを守ってくれたんだ!」 二歳の子どもがうっかり海で溺れ死んだこともある。十三歳の子どもが木から落ちて、首都の病院からの船の迎えを待つあいだに死んでしまったこともある。島には医者がいないので、盲腸炎で命を落とすこともある。 わたしのナヌマンガ島での母親であったマロソーばあちゃんは去年六十一歳で死んだ。バイツプ島での母親だったリセもおとどし死んだとき、やっぱり六十一歳だった。カヌーの作り方を見せてくれたオシエじい(★1)が死んだのは六十三歳。六十代前半で一生を終えることはツバルの島々では普通のことだ。 日本への帰途の街中の知人の家で、南太平洋の写真集を見た。ツバル、トンガ、サモア、クック諸島などの南の島の風景写真集だ。写真はどれも、魂が洗われるように美しかった。海を赤く照らす夕日、鮮やかな花冠の子どもたち、青い空にのびる濃い緑の椰子の木―。めくるページのすべてに、つい先日船で後にしたナヌマンガ島での日常の美しさが凝縮されているようで、島が恋しくなった。 けれども。海の前の美しいシルエットの女の写真に、思ってしまった。 「この人にもシラミがたくさんいるだろうな。シラミとり、大変なんだよなぁ」と。 のどかな村の風景に、 「この家々の裏にも、さびて破けた金網やクギが無造作に捨ててあるんだろうな。子どもたちがそれで怪我してるんだろうな」と。 ただ美しいだけの世界など、どこにも存在しないのだ。 美しい南太平洋の写真集を見ながら、思った。昔のわたしは、日本の街でこれら南の島の美しい風景にあこがれているだけだった。
執筆 2012年7月3日 |
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