● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 7

― 天国の代償 ―



島の毎日は美しい。
(2011年4月23日)


  朝、屋根の上で子どもたちと日の出を見る。視界いっぱいに広がる緑の森の向こうから昇(のぼ)ってくる太陽。その鮮やかな赤をさえぎるものが何ひとつない澄みきった大気。太平洋のどまん中の、小さな島にそそぐ日の光。
  昼、森で椰子の実を集める。汗だくになる。からだをなでる、あらゆる形の葉の木々の中に、ふっと香るまっ白いティアレの花。
  夕方、白いサンゴ砂利(じゃり)の海辺。海も島も空もオレンジ色の世界に包まれ、海の波―地球の胎内―でからだを流すひととき。
  そして、夜の満天の真珠の星空。流れ星。

  毎日のいとなみが、美しい、うつくしい世界の中。人間は、昔は日本でだって、美しい世界に生きていたのに。毎日朝から晩まで、心を潤し、からだの芯がおのずとエネルギーで満ちてくるものに囲まれて生きていたはずなのに。なぜそれらを壊し続けたのか。

  けれども。美しい世界に生きることは、ただ美しいだけではなかった。



仔犬をなめ続ける母犬
(2011年3月4日)

  この家の犬が仔犬を産んだ。床下で母親になめられる生まれたばかりの赤ん坊犬を、七歳のハイチアや十歳の夢さんと一緒に見つめた。新しい命が、キラキラしていた。
  ところが。それから、どうも身体がかゆい。
「最近は蚊が多いのかなぁ。それにしても蚊にしてはかゆすぎる」と思っていたら、夢さんがわたしの足を見て叫んだ。
「小さい虫が、地面からなっちゃんの足に飛び移ってる!ほら、そこ!」


  犬のノミだった。この犬母子はひどくノミに食われていて、すでにこの家の周りそこらじゅうの地面はノミだらけになっていたのだ。毎日歩くたびに、ピョンピョンと地面から足を登り、服の中を上半身まであがってくる。ついにわたしは全身、ノミ食いで赤い斑点だらけになった。
  ノミのかゆさは、蚊の比べものにならない。からだ中がじんじんとうずいて、夜、眠れない。次の日は寝不足でフラフラ、森での仕事どころじゃない。何日も眠れない日が続き、起き上がれなくなった。昼も寝床でかゆさにうなされていた。一週間ほど病人のように暮らしたのち、島の看護婦にきつい睡眠薬をもらった。それでやっと一度は眠れた。


  蚊と同様、ノミにも食われやすい人とそうではない人がいるようで、この家ではわたしが集中攻撃された。七歳のハイチアはその次にひどく、がまんできずにかきむしって両足が穴ぼこだらけだ。

  動物にノミはいるし、女の頭にはみんなシラミがいる。こんなことは、この美しい島では、日常なのだ。


ノミでからだじゅう、こんなになった。
(2011年3月27日)


  別のできごともあった。事故だ。
  集会所で葬式の手伝いをしていたとき。古い大きなシーリングファンが天井でゴォン、ゴォンと回っていた。忙しく立ち働いていたわたしは、突然、後ろから首筋をガーン!と何ものかに激しくブンなぐられて倒れ、真っ暗になった。気がつくと、おおぜいの人びとがわたしをとり囲んでいる。壊れた金属性のファンが転がっていた。ファンが天井から抜け落ち、回転したまま、後ろを向いたわたしに飛んできたのだ。かなりの衝撃だったが、それでも首をかすめただけだった。もし直撃していたら、命はなかった。日本ならそんなずさんな安全管理はありえない。けれども島の人びとは、みんなただこう叫んだ。
「マヌイア(めでたい)!神がナツを守ってくれたんだ!」

  二歳の子どもがうっかり海で溺れ死んだこともある。十三歳の子どもが木から落ちて、首都の病院からの船の迎えを待つあいだに死んでしまったこともある。島には医者がいないので、盲腸炎で命を落とすこともある。
  わたしのナヌマンガ島での母親であったマロソーばあちゃんは去年六十一歳で死んだ。バイツプ島での母親だったリセもおとどし死んだとき、やっぱり六十一歳だった。カヌーの作り方を見せてくれたオシエじい(★1)が死んだのは六十三歳。六十代前半で一生を終えることはツバルの島々では普通のことだ。

  日本への帰途の街中の知人の家で、南太平洋の写真集を見た。ツバル、トンガ、サモア、クック諸島などの南の島の風景写真集だ。写真はどれも、魂が洗われるように美しかった。海を赤く照らす夕日、鮮やかな花冠の子どもたち、青い空にのびる濃い緑の椰子の木―。めくるページのすべてに、つい先日船で後にしたナヌマンガ島での日常の美しさが凝縮されているようで、島が恋しくなった。
  けれども。海の前の美しいシルエットの女の写真に、思ってしまった。
「この人にもシラミがたくさんいるだろうな。シラミとり、大変なんだよなぁ」と。
のどかな村の風景に、
「この家々の裏にも、さびて破けた金網やクギが無造作に捨ててあるんだろうな。子どもたちがそれで怪我してるんだろうな」と。

  ただ美しいだけの世界など、どこにも存在しないのだ。
島の暮らしは底なしに美しい。でも、シラミやノミがかゆい。人間や家畜の糞尿の匂いも日々の暮らしの中。いつも気をつけていないと、熟れた椰子の実が頭の上に落ちてくる。常に、危険なものやきたないものにまぎれての暮らしなのだ。
  そして、人は早く死ぬ。

  文明化された都市は、シラミやノミ、それにあらゆるバイ菌は排除されて安心だ。医療もすぐそこにある。マロソーばあちゃんやリセだって、日本の病院に行ってれば今も生きていただろう。
  けれどもコンクリートとアスファルトのこの街には、全身がうち震えるような美しさと感動は、もはやない。

  どんな世界も、いいとこどりはできない。明あれば、必ず暗あり。そんな中で、死ぬまで自分の選択をして、生きるしかないのだ。

  美しい南太平洋の写真集を見ながら、思った。昔のわたしは、日本の街でこれら南の島の美しい風景にあこがれているだけだった。
  いまは、そこで、シラミやノミのかゆさも、危険も、そして毎日をともにしたいとしい家族が死んでいったことも、知っている。
  本も映像も写真も、世界の向こう側の一面的な情報でしかない。自分の足で来て、からだで体験しない限りは。死ぬほどのかゆさも、毎日泣いた悲しみも、ああ、このからだで体験してよかった。

  そしてわたしだって、島で六十歳そこそこで死ぬかもしれない。いや、もっと早くに木から落ちて、または突然シーリングファンのような何かが飛んできて、病院に行く船が間にあわず、死ぬかもしれない。
  ―それでも、わたしはやっぱり島にいたいのだ。



★1 オシエじい=ツバル特選写真集その2―オシエじいちゃんのカヌー―



執筆 2012年7月3日





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