● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 8

― 森と海と子ども ―



12歳のフィメマが海水をくむ。
(2010年12月10日)

  12歳のフィメマと7歳のハイチアに、母親のアセナティが言った。
「もらった豚を煮るから、海水をくんできておくれ」
豚や鶏を煮るときは、海水を少し混ぜるのだ。すると塩味が効いてぐっとうまくなる。
「店で買った塩を入れるより、海の水で料理するほうが味がいいからね」
  ふたりの子どもと一緒に、わたしも出かけた。


  椰子の森をのんびり歩くこと15分。途中で草をちぎって遊んだり、歌をうたったり。するといつもの、まっしろいサンゴ砂利の海辺にでる。
  海水をチャプンとくむ。ざざざん、ざざざんと果てしない波と戯れる。はるか沖の、水平線に溶ける空を見る。サンゴと貝だけでできた大地から、ピンクや紫の宝石のようなのをひろう。

  そしてもと来た道を、足を砂だらけにして帰る。家の裏につくと、海水の小さなアルミ桶(おけ)をアセナティが受けとって、大なべにザアッとうつす。椰子の傘(「タウメ」)で火をおこし、料理がはじまる。

  たったこれだけの海水をくんでくるのに、1時間弱、フィメマとハイチアは森に包まれてゆっくりと遊びつつ、家の用事をする。


海からの帰り。島の子どもたちは、森に包まれて育つ。
(2010年12月10日)



  ある日、今度はわたしが外で料理をしていた。火をつけるための椰子の傘、「タウメ」がきれていたので、子どもたちに家の周りの森でとってくるように言った。椰子の実がたわわになるすぐ上には硬い傘、ツバル語で「タウメ」が幹から生えている。それは乾くと枯れて落ちて、森のあちこちでいくらでも拾える。油分に富んでいて、火つけに欠かせないのがこの椰子の傘「タウメ」だ。拾い集めては火床の屋根の梁(はり)に、引っ掛けておくのだ。

  フィメマとハイチアと、そして日本から連れてきたモエミティ(夢菜)は三人でリヤカーをひいて森に消えた。ところが一時間たっても、二時間たっても帰ってこない。あれこれの料理をしていて、手伝ってほしいことが山ほどあるというのに。

  夕方になって、三人は楽しそうに仲良くリヤカーをひいて帰ってきた。泥んこだ。リヤカーには、こぼれんばかりのタウメの山。実際は、一度にそんなに集める必要はない。一人で料理にあくせくしていたわたしは思わずイラッとして叱ろうとした。「他の仕事もたまっているのに!また森で遊んで!」と。ところが、三人は見たこともないタウメの大きな山を背に、とても誇らしげな嬉しそうな顔をキラキラとこちらに向けている。タウメの量に驚くわたしの反応を待っているのだ。あどけない三人の高潮したほおが、泥と汗にまみれてつやつやとしていた。眼は瑞々しく輝いている。
  ああ、そうだ。森で用事をしたり、遊んだりして帰ってくる子どもたちの眼は、いつもこんなふうにすがすがしいエネルギーにあふれている。生き生きしている。太陽に輝き、風に揺れる椰子の濃い緑の葉そのもののように。美しいのだ。 それが、この島の子どもたちの毎日だ。

  ふっと喉になにかつまるようなものを感じた。わたしは、こんな子ども時代を体験したことがない。この子たちの歳であった頃の自分を思い出した。都会のアスファルトの上を学校に通い、一日中机で教科書と黒板を睨み、家に帰っては、やっぱり本を読んだり絵を描いたりした。本と絵の中が、わたしの遊ぶ世界だった。そしてそれら仮想現実の世界は、「よいこと」として、親からも教師からも奨励された。
「本を読むのはいいことだ。もっとたくさん読むといいよ」
「絵が上手ね。画家になれるかもよ」
  ずっと街なかで育ち、ほとんど本や絵の空想の中でしか生きてこなかったわたしは、十代にして世界の重苦しさに息切れがした。二十代前半で摂食障害という精神疾患をわずらった。




料理場の焚き木を太鼓にして遊ぶハイチア(七歳)と,モエミティこと夢さん(十歳)
(2011年4月16日)


  いま、日本の街なか、アスファルトの道の上で通学途中の小学生たちとすれ違うとき。ツバル離島の子どもたちのように、爆発するような輝きを持たない、押さえられた表情。かれらに、わたしは子どもの頃の自分を見る。日々の宿題や仲間はずれや、あらゆる学校での義務・親からの期待の重圧のなかで生きている、たくさんの日本の子どもたち。今、わたしは、八歳にして自殺願望の近所の子どもを知っている。すぐ暴力をふるう子どもも知っている。その子は、毎日親から「勉強、勉強」と厳しく言われている。別のある子どもは、わたしたちが食事をともにするなか、ひたすら携帯ゲームをしていた。口からでる言葉もすべてゲームの世界の話だった。「ゲームが終わったら、宿題しなさい」と親から言われていた。―ゲームやアニメだけが許された遊びの世界。

  先進国の街なかで育つ子どもたちの、自分では何だか分からない、底知れぬ窮屈さ。出口のない心の闇。それをわたしは過去の体験から知っている。からだがキリキリと痛むほどに。

  数世代前の子ども達を包んでいた木漏れ日の緑の森。あらゆる動物との肌の触れ合い。川や海の水のキラキラとしたしぶき。そういう、世界の光との戯れは、今の子どもたちからは奪われた。
  かわりに本やゲーム、アニメという虚構現実が与えられた。電子で作られたそれらの娯楽は、企業、つまりオトナたちが利益を得るために、子どもたちに次々と売りつけるものだ。

  子どもはこの貨幣文明の、最大の被害者だ。
アリス・ミラーは、体罰や言葉による虐待によって、子どもの人間としての感性と思考力が奪われていく伝統的教育方法を「魂の殺人」と論じて、児童心理学の分野に大きな一石を投じた。(★1) わたしは今、それを進めてこう言いたいのだ。体罰をくわえていなくとも、子どもたちを、森から、海から、川から引き離すこと。わたしたちは、そうすることによって、子どもたちに対して「魂の殺人」をしているのだ、と。

  生きるエネルギーは、森から、川から、海から、泉のように受けとり続けるものなのだ。子どもたちの「魂」の母や父は、人間ではない。もっと、はるかに大きなものに包まれることが必要なのだ。森だ。川だ。海だ。山だ。
  子どもたちの暮らしから、彼らの魂の両親−森や、川や、海―を奪ってはいけない。



★1 A・ミラー『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(新曜社 日本語版1980年)
    原書 Alice Miller, Am Anfang war Erziehung, Suhrkamp, Frankfurt/Main 1980




執筆 2012年7月11日
修正 2015年11月18日





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(執筆中)…のつもりが、そのうちにツバルに再び出発し、
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バイツプ島の夕暮れ」はここで中断しまいました。
いつか出版物で執筆できたらと思います。
読んでくださって、
ファカフェタイ・ラシラシ(ありがとうございます)…!