● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 5

― 木を植える大地 ―



アセナティの五番目の娘バイエリとモエミティ(夢さん)は、よくブレッドフルーツの木に登って遊んでいた。
(2010年12月4日)


「アセナティ、いるかい」
近所の、または親戚の、おんなやおとこがよく訪ねてくる。
「なんだい」
「フアタンガをさ、二、三個欲しいんだけど。今日の晩ご飯にさ」
「ああ、いいよ。登んなよ」

 「フアタンガ」とは、ブレッドフルーツのナヌマンガ島語だ。
ブレッドフルーツはホクホクとした黄色い実が、サツマイモのように甘い。その木は大きく育つ。(★下コラム参照) この家には表と裏にふたつ、ブレッドフルーツの大木がある。この家に住むわたしたちの腹を毎日満たすだけでなく、こうして所望してくる島の人たちのぶんまで実をつけてくれる。

  家の前の砂利に座って、ござを編むためのキエの葉の棘(とげ)とりをしながら、アセナティはわたしに説明する。
「表のフアタンガの木は20年前に、裏のは15年前に種を植えたんだ。」
  アセナティは食べ物の種を取っておいて、植えるということに気を働かす。パパイアだって、食べるときはいつも子どもたちに言う。「種はファゴゴ(ココナツ殻)に入れて取っておくんだよ。後で植えるんだから。」

  パパイア、バナナ、ブレッドフルーツ。この家は豊かな実をつける木々に囲まれている。朝起きて、そこにあるパパイアの木から熟れた実をもいで朝ごはんに食べる。それから目の前のブレッドフルーツの木に登って実をとって昼ごはんのために素焼きする。そんな暮らしが、わたしの身体と心にくれるこの安心感と喜び―。それは、いままで体験したことのないものだった。
「何なんだろう、このあふれるような充足感は。生きるってこんなに、単純で幸せなことだったんだ。これでよかったんだぁ。」

  いやいや、よく考えてみれば。そんなことは、日本人だって昔からやってきたはずのことだったのではないか。目の前になる桃、柿、アケビ、栗。そんなものを採って食べる話は昔話でいくらでも聞いた。
 けれども、わたし自身は。生まれてこのかた、都会ばかりを転々と引越しながら育ってきたのだ。「夏休みに帰る、祖父母の田舎」なんてものも、わたしにはなかった。子ども時代も大人になってからも、食べ物とはすべて、スーパーで金銭と交換して手に入れてくる、ビニールに入った、またはパックされたものだった。

  子どもの頃からずっと不安定な自分の心と向き合ってきた。この重くて悶々とした何かを解決したくて、思春期からは心理学や哲学・宗教・人類学の本を読みあさった。東京での大学時代はついにひどい摂食障害を患(わずら)った。東京の街中、周囲の友人たちの多くも心身症に悩み、その中には自殺を図る人もいる中で、これは自分ひとりのテーマではない、と、探すことだけは諦めなかった。「どうしたら人は幸せになれるのか」を探すことだけは。

  「自分のからだが大好きなことを、とにかく追い続けてみよう」ともがいているうちに、大好きな南の島、ここツバル離島にたどり着いた。ところがここに暮らしてはじめて、日本の街でのわたしの人生に何が足りなかったのか、たくさん分かってきた。そのひとつが、これだ。







ブレッドフルーツの木の高くに登って実をとっている人が、見つけられますか?
(2005年4月25日)




  日本にいたとき。田舎で育った友人たちと話すと、彼らと自分の精神構造の違いをはっきりと感じずにはいられなかった。彼らは今は街中に住んでいても、いつもどこか、根が明るいのだ。そして心の基盤が、安定している。「どうしてこんなにお先真っ暗の世界に生きているのに、そんなに安定していられるんだろう」と、よく不思議に思ったものだ。

  けれども、わたしもいまや、アセナティ家とはすっかり家族の関係だ。この島にわたし個人の土地はないけれども、ここに来れば、ブレッドフルーツを好きなだけ食べられる。パパイヤやバナナだって気のおもむくままに植えた。植えたときは、そりゃあ気持ちよかった。田舎を持つ人にとってはあたりまえの行為が、わたしにとっては、人生初めての、なんとも爽快で満ち足りた、深い感動だった。
―わたしの命は、この大地と、直接つながっている―。
  この安堵感は、自分で直接パパイヤをもいで、家の前の木になったブレッドフルーツを毎日食べるまで、分からなかった。「土とのつながり」が、人の精神をこんなにどっしりと安定させて、強くするとは…!
  そしてこの島の人びとはすべて、そうやって好きに種を植えられる土地を、それぞれ自分の家の周りと、森に持っているんだ。

  この南の島で、からだで体験して分かったひとつの答え―。ただ、土とつながること。
  人間は土から実る植物(地域によっては、それらを食べる動物)なしには生きていけない動物だ。たとえ紙幣という紙切れで今日は仮に食べ物を得ることができても、それは脳ミソで考え出した人間界だけの約束ごとの上に成り立っている、頼りのない「命の安全」に過ぎない。この生命をつなぐ大地から身体が離れれば、おのずと不安を感じるように、人間という動物の本能はできているんだ―。

  食欲・睡眠欲といった、生きるために必要なものを直接得るための一次的な本能もあれば、生きるための「条件」を満たそうとする二次的な本能もある。人間は本来、群れをなさなくては生きられない動物なので、「家族」や「会社」または「商業組合」「コミュニティ」「村」といった何らかの集団に属すると安心感を得るという「集団帰属欲求」もそのひとつとして知られる。それにもともと狩りをする動物だったから、身体を思いきり動かして運動するとドーパミンなどの脳内物質が分泌されて爽快感を得る「運動欲求」もそのひとつ。

  そんな、生きるための条件が満たされると精神が安定する、という二次的本能のひとつに、この「土とのつながりを持つこと」もあるのじゃないか。

  一時的本能の欲求は身体的なのですぐに分かる。「おなかがすいた」とか「眠い」とか。ところがこの二次的本能の欲求は、けっこう、分かりにくいことが多い。「わたしはなぜこんなに暗いんだろう?重たいんだろう?」と、考え込んだりする。それがわたしの日本の街での人生だった。
  でも、なぁんだ、何も哲学的なことじゃなかった。わたしの場合の、人生の思索テーマは。貨幣という間接的な社会システムを介さず、直接わたしの生を支えてくれる大地を持てばよかっただけなのだ。

  文明発展に適応して、大地とのつながりがなくとも充実を感じれる人間も大勢いる。街中でも、自己表現や仕事の達成感で充足して生きる人びとが。けれどもわたしの本能は、浅い人類の歴史にそこまで適応してはいなかった。「集団帰属欲求」「運動欲求」…そして、これは「大地欲求」とでも命名しようか。これが満たされず、根なし草のような生命の不安を抱えていたのだ。
  日本の街中で長い間模索していたわたしと同じように、動物としての二次的本能を満たすだけで「人生の幸せって何?」が解決してしまう人は、じつは意外と多いかもしれない。

  わたしの場合は暑い気候と青い海とココナツが大好きなので、どのみちやっぱり南の島なのだけれど。心身症に悩んで、打開策を模索する大勢の都会の仲間には、提案してみたい。「たとえば畑を借りて、ともかく毎日、土に触ってみて」「田舎に住んで、好きな実のなる木を植えてみて」と。すべての人に万能ではないけれど、それでも、ひとつの、大きな解決の試みとして。まずは自分が動物であることをよく知って、その欲求を必要最低限、満たしてあげる試みだ。

  毎日、家の前の砂利に座って、ふたりでござを編むためのキエの葉の棘(とげ)とりをしながら、アセナティは何度もわたしに、こう語った。
「ナツ、ずううっとこの島に住みなよ。島の暮らしはいいよぉ。
こうやって、フアタンガ、パパイヤ、バナナ…。食べたもんの種を植えておけば、どんどん実がなって、いつだってボリッともいで、また食べられる。そうしてどれも、こんなにウマい。こんだけいい暮らしは、都会にはないよぉ。―島は、ほんとうに、いいよぉ。」
  褐色に輝いたアセナティの頬。そのキラキラ澄んだ瞳には、自然の中で、自然の恩恵によって生きる動物の、とてもシンプルで、満ち足りた輝きがあった。

執筆 2012年5月22日




● ブレッドフルーツ ●


ポリネシアの国々で、毎日の食事に欠かせないのがブレッドフルーツ。
ツバル標準語では「メイ」、ナヌマンガ島語では「フアタンガ」。
サモア語・ハワイ語では「ウル」、その呼び名は地域によって色々です。
素焼き、揚げる、ゆでる、マッシュ、つぶしてスープ、…いろんな料理法があります。

 
これがブレッドフルーツの実。
下の3つは皮をむいた状態。   (夢菜4歳)


椰子の殻の灰の上で転がすブレッドフルーツの素焼き。ホクホクで香りもこおばしい。

ブレッドフルーツをふかして杵でつく。
「ソロ・メイ」という伝統料理の工程。


これはブレッドフルーツを薄く切って油で揚げる
ブレッドフルーツ・フライ。(「メイ・ファライ」)
カリッとうまくて子どもたちの取り合いになる。

手前右にあるのがふかしたブレッド・フルーツ。
どんなおかずにもよく合う。

他参照: ナヌマンガ島2008年の日記 ―ココナツ削り・ハイ― コラム
      サモアホームページ「南の島 子連れ滞在記」 うま〜い石焼、「ウム」料理 下段の「ウル」 






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