● ナヌマンガ島の日の出 バイツプ島の夕暮れ ナヌマンガ島 3

― ノニの赤 ―   


ノニの根っこで赤く染めたキエの葉
(2005年6月10日)
(今回の染め作業は、自ら手を泥だらけにしたり真っ赤にしたりで、
カメラは握れなかったので、過去に撮った写真でご説明します。)


 もうすぐわたしと娘が日本に帰る船に乗らんとする2011年四月。わたしとアセナティのござ編みが始まった。
―いやいや、じつはまだ編めない。

模様編みのために、キエの葉を色に染めなくてはいけない。
ナヌマンガ島の伝統色は四色だ。
白・黄色・黒、そして赤。

  白い色は。葉を海水に一・二ヶ月つけ込むときれいに白くなる。
その白い葉を、サンゴを焼いた灰であるサンゴ石灰に三日間つけ込むとこんどは黄色になる。
さらにその黄色い葉を熟れたマングローブの実と一緒に四日間炊くと、鴉の塗れ羽色の真っ黒になる。
 これらはあらかじめわたしが暇を見つけて染めておいたり、島の親戚から染めた葉をもらっておいたりした。

 もう一色が、赤。
これはノニの木の根っこを使う。
いままでの六年間で何度かやったことがあるが、もう一度アセナティに習いたかった。




ノニの根っこを引っこ抜くマロソーばあちゃん
(2008年10月22日)


  アセナティの夫ウィニとわたしのふたりで森に行く。ノニの根っこ抜きだ。

  ノニは、日本やアメリカでは「ノニジュース」という健康飲料で知られている。ノニジュースは、身体によいノニの実をジュースにしたもので、日本やアメリカの企業が先進国で売り出すために考えたものだ。
  ノニは、サモアやツバルといった南太平洋の熱帯の島々の森には、まるで雑草のようにそこかしこに、わんさと生え育っている低木だ。
  死んだマロソーばあちゃんは、ちょっと胃の調子が悪いとか身体に力が出ないとか言っては、その辺に行ってノニの苦い実をブチッとむしり、ムチャムチャと食べていた。
  またあるときは、若芽をついて絞って、咳こんで気管支が弱っている人に飲ませたり、糖尿病や通風に使ったり。子どもの足のウオノメが痛いときには、葉っぱをあぶってその汁をウオノメにつけたり。ありとあらゆる怪我・病気がでると、すぐ近くの茂みにぱっと行って、手でブチッとちぎって来るのがノニの葉や実だ。島の人間の暮らしにぴったりと寄りそっているのが、ノニの木なのだ。

  そのノニの根っこ部分は、草スカートやござの模様を明るく彩る、赤色の染料になる。
森でウィニと、その辺に生えているノニを手で、ときにはスコップを使って引っこ抜き、ナイフで根っこの部分だけを切り落として、米袋に詰めていく。

  六年前にテアギナおば(★1)とノニの根っこ抜きをした。三年前には、死んだマロソーばあちゃんと引っこ抜いた。でもそれらのときには、写真もたくさん撮ったので、わたしはそれほど抜かなかった。手が土まみれになるとカメラを触れないからだ。
  今回は自分ですることがテーマだったので、カメラは持たずに森にはいって、とにかく汗水たらして引っこ抜いて回った。
  すると、土が軟らかくてズボッと抜けやすいものと、大地がカチンカチンになっていて抜くのが大変なものがあることが分かった。何度見ていても、自分の手でやってみないと分からないものだ。
  なるべく太くて、根っこの黄色い内皮の部分が多そうなもの。それらを探しては、うんとこ、どっこいしょと引っこ抜いた。

  二時間も森の中でふたりで「エイヤッ」「セイヤッ」と頑張っただろうか。ウィニもわたしも汗ぐっしょりになった。米袋ふたつぶんの、ノニの根っこがとれた。


★1 テアギナおば=六年前、最初にナヌマンガ島に来たときにはテアギナおばの家に暮らした。いまは首都フナフチにいる。
→ ―子どものあなたが―ナヌマンガ島の暮らし 



この黄色い部分が、ノニの根っこの内皮。
(2005年6月9日)

ノニの根っこの内皮をガリガリ削るシエニとわたし
(2005年6月9日)



  家に帰ったら、アセナティとわたしとで、この根っこの皮を削る作業だ。根っこを置く椰子の葉の大きな皿を、アセナティがいくつか編んで待っていた。

  ガリガリと削るのには、缶詰の缶のとがった部分を使う。木というものは、幹も根っこも、二層の皮がついている。一番外側の皮と、その中にある内皮。ノニの内皮は黄色く、これが染料となる。だからまず、外皮をすべて削って、とりのぞく。そして、今度は内皮をガリガリと削る。この削る作業中、根っこの内皮が乾かないように、常にすべてを大きなプアの葉にくるんで、ひとつひとつ削るものだけを出す。きれいに削れた内皮の、いわば「削り節」も、プアの葉をしっかりかぶせておく。

  木の根っこの皮ってのは硬いもんだ。ガリガリガリガリガリガリ。六年前も三年前も削ったが。一生懸命やっても、この道三十年のアセナティの削る速さにはかなわない。汗だくになって削るわたしを見て、アセナティは笑った。
「ナツひとりだったら、日が暮れちゃうねぇ。」
  青々とした美しい椰子の葉の編み皿の上で、大地を吸ったノ二の根っこの匂いを嗅ぎながら、汗をポタポタたらしての作業。
 こんなとき、いつもわたしは恍惚にひたる。究極の快感なのだ。

  ところが、通りかかったおばさん達はわたしを見てこう声をかけた。
「あれぇ、ナツ、懐かしいことやってるねぇ。」
  この年にはもう、島のおんな達はござや草スカートの赤色を、外国から輸入されて店で売っている化学染料で染めるようになってしまっているのだ。
  二年前にこの島にいたときには、まだみんなノ二の根っこを引っこ抜きに行っていたのに。たった二年で、すっかり変わってしまった。
  過去にノニで染めたことのあるこの島の女たちの世代が年老いて死んだら、もう誰もキエの葉を、ノニの根っこでどうやって赤く染めるのか、知る人はいなくなるだろう。



大きな窪みを掘り、
サンゴを燃やして作ったサンゴ石灰。
石灰を掘り出して家に持ち帰る女たち
(2008年7月19日)

ノニの根っこの内皮の削り節に、サンゴ石灰を混ぜる。
すると、ぱあっと赤色に発色する。
(2005年6月9日)


  椰子で編んだ大皿にいっぱいの、黄色いノニの内皮の「削り節」ができた。
けれどもじつは、これだけでは赤くはならない。これに、サンゴの焼いた灰であるサンゴ石灰を混ぜる。

  サンゴ石灰は五年から十年に一度、村の各部族ごとに地面に大きな窪みを掘り、海岸の白いサンゴ石を大量に集めて燃やして作るのだ。わたしは島と日本とを行ったり来たりの暮らしで、まだその作業にお目にかかったことはない。燃やしたあと、その穴にはいつでもサンゴが変化した真っ白い泥・サンゴ石灰があって、その部族の人はいつでもとりに行ってよい。

  あらかじめウィニとわたしとで取ってきてあったサンゴ石灰。その白い泥を、少しずつ、このノニの根の内皮の「削り節」に混ぜてゆく。
すると。みるみるうちに、ぱぁっと美しい赤色に発色していく。
ドキドキするほど美しい。

  さて、ようく混ぜて、黄色い削り節がすべて赤くなったら、大なべでそれを煮立て、キエの葉をなべに入れていく。
  ゴンゴン、ゴンゴン、焚き木をくべては赤い湯の温度が落ちないように火の世話。
そろそろ日が傾いて、火もなべも、隣りの椰子の実を積み重ねた山も、その向こうの森も、すべてオレンジ色の世界に染まってきた。メキ、メキメキと焚き木が音をたてて燃えていく。

  その火の横で、アセナティとわたしは、並んで大の字になった。
アセナティ「あ〜あ、くったくっただねぇ。」
わたし「…うん…もぉ…ダメ…」
アセナティはバテたわたしをくるりと見て、大笑いした。
「…がぁああはははは!」
 大の字になるふたりの女の周りで、子どもたちが遊びながら、火の番をしてくれた。




真っ赤になったノニの根っこの内皮の削り節を、湧いた湯に入れる。
(2005年6月9日)




きれいに赤く染まったキエの葉。一枚ずつ巻いては天日で乾かす。
(2005年6月10日)



  ところが。
二時間がたち。なべからあげた赤いキエの葉を見てアセナティは言ったのだ。
「…ダメだね。」
わたし「え…。ダメ?」
  たしかに、三年前にマロソーばあと染めたときのような鮮やかな美しさがない。
アセナティ「ノニの赤は、こんな色じゃない。これはくすんでいる。何が悪かったんだろうね。ノニか、ナベの洗い方がまずかったか…。でもときどき、こういうことがあるんだ。明日、やり直ししよう。」

  明日、この一連の作業をもう一度はじめから…。わたしはクラッときた。

  ところが。次の朝早く。顔を洗いに外に出ると、ウィニが森からバイクで帰ってきた。その背中には米袋がふたつ。ノニの根っこが袋から見えた。新たに抜いてきたノニだ。
  わたしは怒った。次の朝にもういちどふたりで行こうって、昨夜あれほど念を押したのに。でも島の人はいつもこうだ。先にやってしまうのだ。
「ナツは疲れてるから。」
  わたしが起きたら一緒に行くといってきかないだろうから―、わたしが寝てるまだ暗いうちに、こっそり行ったのだ。そこまでして、わたしを休ませようとした。ウィニとアセナティふたりのたくらみだ。

  さて、そうして再び、採りなおしてきたノニの根っこに向かい、アセナティとわたしとでガリガリガリガリガリガリ。
大なべで湯を沸かしてゴンゴンゴンゴン。
昨日と全く同じ作業をして、また汗ボタボタボタボタ。

  こんどは、ナベから出てきたキエの葉は、鮮やかな、けれど深みのある美しい赤い色に染まっていた。
「うん、これだよ。これがノニの赤だ。」とアセナティ。

  そのときのわたしの爽快感といったら…! こんなに嬉しいことって、そうそうない。
両腕を、赤く傾いた大きな太陽にむけて、全身でうーんと伸びをした。
  昨日と同じ日暮れどきの真っ赤な太陽は、今日は格別に澄んで光り輝いて見えた。

  このノニの赤のために、何度もポタポタとたらしたあの汗がなかったら、こんなに全身が震えるほど嬉しくはなかっただろう。




執筆 2012年5月16日





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