● 子ども 2 |
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子どもの服は村で共有
ー「ひとの子ども」という概念の特殊性 2− |
夢さんはどこに滞在しているときも、わたしが知らないうちに、あちこちよその家にいりびたっていた。 わたしよりずっと社交的だ。それを受け入れる器(うつわ)が、どの家にもあったからだ。 (フナフチ環礁フナファラ島滞在中。夢さん4歳) ● 子どもの服についての文化的相違!! ● |
クルアキには幼い子どもが3人いる。自分の子どもも夢さんも、いつもこうやってハグハグしていた。 (ナヌマンガ島:夢さん4歳) |
夢さんのツバル名は「モエミティ」だ。
夜見る「夢」のツバル語が「モエミティ」だからだ。 バイツプ島に来てまもなくのこと。 夢さんは、村のあちこちの子どもと遊ぶようになり、そのうち夜まで帰ってこなくなった。 「ありゃ、夕方のコウコウ(水浴び)、向こうの家でしたの?」 |
これはシラミをとっているのです。夢さんもわたしも、しっかりシラミをもらってしまった。みんな真剣になってとってくれる。 |
(暑いツバルでは毎日朝と夕方、1日2回、体の汗を水で流します。それを「コウコウ」という。特に夕方は石鹸を使ってきれいにします。)
「水浴びさせてくれてありがと。これ借りた服。」 その家の人はー。「…へ…?」という顔をする。 それから、ああ、そうか、という顔をして、こう言うのだ。「あらまぁー!なんて丁寧に! でも返さなくていいんだよ。モエミティにあげたんだから。」 |
女の子の髪の毛はきれいにする。どの家にいっても、シラミとり用の櫛でといては、かわいい髪ゴムをつけてくれた。
(フナフチにて、カウパーと。) |
さて、その後。その家の子どもが夢さんの服を着て遊んでいる。
なんのてらいもなく、堂々と。 そんなことが重なるうちにわたしは理解した。 ところが、日本育ちの夢さんは納得がいかない。 |
そしてさらに日曜日には、ヒラヒラの正装ドレスを着せてくれて、教会へ。 (フナフチ環礁フナファラ島で、マウリマと。夢さん5歳) |
夢さんに要求されて仕方なしに、その子どもの親に言う。 子どもに着せている服が誰からきたものか、なんてこと、覚えてないのだ。 わたしは続ける。 |
…ってことで、自分でも他人の髪の毛もいじったり、シラミ探しをする習慣がついた夢さん。 (ナヌマンガ島にて、ファーマラマ・アマリアと。) |
そうは言っても、なかなか持ってこない。
ーそうだろうとも。 豚や鶏の世話をして、ココナツ拾いに森にはいって泥だらけ、プラカ芋畑で汗だくになるこの暮らし。 そんな毎日のなかで、子どもの服なんて、重要で記憶すべきことではないのだ。 でもモエミティ(夢さん)が、その家でなんども水浴びして帰るたびに、そのうち自分の好きだったピンクの服を着て帰った。 |
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さてさて、わたしと夢さんの住むホームステイ家庭でも。 その辺で夢さんと他の子どもが遊んでいる。 あちこちの家から来ている子どもがみんなごっちゃになって水浴び部屋になだれこむ。 わたしはあわてて、バスタオルを出して、ひとり一人、ふいてやる。 この空間でぎこちないのはわたし一人だ。 そして思う。 それは、世界の観点から見ると、ある特定の文化にすぎないということ。 ― 誰が生み落とそうが、子どもは子ども。そこに居合わせた大人が目をかけて、安全を見守り、愛情をかけてやらなければ生きられない。 そういう常識で社会全体が堂々と回っているところも、世界にはたくさんあるのだ。 ★ ツバル語ワンポイント講習 ★ 「わたしの」というツバル語は2種類あります。 「トク」 : ★ 例: 「わたしの母親」=「トク・マートゥア」、 「わたしの手」=「トク・リマ」、 「わたしの国」=「トク・フェヌア」 「タク」 : ★ 例: 「わたしの仕事」=「タク・ガルエガ」、 「わたしのお皿」=「タク・ティファ」、 ● ではここで問題。「わたしの子ども」(自分が生んだこども、養子にもらったこどもなど。)は、
正解は、「タク」。「わたしの子ども」=「タク・タマリキ」。 |