● 水 1

 

ー 流れる水のないツバルー


首都、フナフチ環礁のフォンガファレ島を飛行機から撮りました。
山のない、海面ギリギリの島であることがわかりますか…?


京都の我が家の前の用水路。
数ヶ月ぶりに日本に戻り、この水の流れの音を聴いたとき、感動に震えた。(+2007年日本で1年生になった夢さん6歳)


上写真と逆方向から、近寄ったフォンガファレ島。帯のように見えるのが、滑走路。小さな首都の主要敷地は、ツバルの玄関である空港だ。


フナフチフォンガファレ島のモル氏宅。
トタン屋根から雨水タンクに水が流れる。
どの家もこうなっている。写真の雨水タンクは現在の丸いタンクが導入される前の、四角いセメント地下タンク。


バイツプ島。右に見えるのが、お隣さん、ジョンおじさんとシアバおばさん宅の雨水タンク。これはUNDP国連開発計画の手によるもの。(→次ページ「ツバルの水の歴史」)

ナヌマンガ島で家族になったテアギナ宅。
くみ水でなべを洗っている。奥の赤い洗面器には洗い終わった食器を重ねている。


一般的なツバルの皿洗い風景。(豚用残飯バケツの上で皿の食べかすをとってから)石鹸洗いタライ→ためすすぎタライ。すすぎ用も必ず水をためて使うのだ。首都フナフチでは、台所にシンクがあって、そこに水の蛇口もついている近代的なつくりの家もあるが、それでも必ずタライに水をためてすすぐ。
また、水切りかごなんていう物は普通なく、単なるタライを使う。どのみちすぐ乾くので問題ない。


バイツプ島にて。ハンモックで遊ぶ子供の真ん中、5歳の夢さん。いやいやそんなことより、左奥、2つの洗面器に、石鹸洗い用とすすぎ用をわけて食器を洗っている風景が。

 2006年夏。

 2度目のツバル、約7ヶ月の滞在から帰っての日本。京都洛北の我が家。

はっ。

―と動けなくなったことがある。

 家の前の細い道の脇、これまた細い細い用水路を流れる水の音を聴いたときだ。

 この借家に引っ越して4年間、毎日見慣れていた細い疎水。
 そこを清水が、きらきらと流れる音を聴いたとき。

 全身から、大きな塊がみるみると溶け出すような、深い衝撃―。
そして次の瞬間、震えて涙が溢れ出した。

 かたくなに守っていた殻が崩れ落ちていく。おさえきれない感情の波がおそってきたのだ。

 ーツバルには、真水が流れている、という光景がないー。

 ツバルはサンゴでできた小さく低い9つの島(環礁)の集合国家だ。
 広さといえば、ナツが述べ5ヶ月滞在したバイツプ島で約2.4km四方(5.6km)。
 2ヶ月滞在したナヌマンガ島は約1.7km四方。(2.78km)。(★1)

 標高といえば、国で一番高いところで5m。(★2)

  ツバルには、山が、―まったくー、まったく、ないのだ。
 海すれすれの、小さくて平たい、島の集まり。

山がない、ということはどういうことか。

 つまり、川がない、ということだ。
どこにも、真水が流れていない。

 雨水タンクが、暮らしの命だ。

 雨水タンクには蛇口がついていて、ひねればジャーッと出る。

 けれども、ツバルでは、皿を洗うとき、日本のように蛇口をひねってその流水でジャーッとすすぐということは、決してしない。
 洗い場には必ず、ふたつの洗い桶を用意する。
 ひとつは石鹸を水にとかして、そこに皿をつけてタワシでゴシゴシする用。
(皿は普通、水を少しいれ、食べかすを、豚にやるための残飯バケツのうえでさっと洗い流してから、この石鹸用タライに入れる。)
 そしてもうひとつは、すすぎ用。
すすぎ用も、桶にみずを入れて、そこでためすすぎ。
日本人の目からみるとけっこう汚れていても、まだまだ、すすぎに使う。
 ツバル人の目で汚れたな、と思ったら、ザパッと土に捨てて、新しい水を蛇口から入れてためる。

 水の文化日本と、水のないツバルの違いにハッとしたことがある。

 わたしは日本の食材を持っていっては、世話になるツバルの家族によく和食をつくる。

 首都フナフチでのある日。

 フナフチでのわたしたちのお決まりのホームステイ家族、サウファツ氏宅は、ツバルではちょっと経済的に豊かなほう。家も、台所にシンクがあって、雨水タンクからそこに管をひいて、蛇口を作ってある。

 しかし、そんな家でも必ず、皿洗いは、タライに水をためてする。 

 さて、そんなサウファツ宅で、「稲庭うどんの美味さを体験してもらおう!」と、うどんをゆでていた。
 「うどん」という麺自体、彼らには初めてだ。彼らが知っている「麺」とは、輸入の安い東南アジア製のインスタントラーメンの麺。それがすべて。
(それだって、日本のインスタントラーメンに比べたら、コシなんて全くない。)

 うどんはゆでた後に、たっぷりの水の中でざざっと冷やし、手で揉んで表面の余分な小麦粉を洗い落とすのがコツ。私ははりきって、タライにたっぷりと水を用意しておいた。

 後ろでは、サウファツの娘18歳のセレと、そのいとこの17歳のテマルペが、日本料理とはいったいどのようなもんであろうかと、興味津々でのぞいている。

 グツグツと大なべの水のなかで踊るうどんにさっと目をやって、私はざるを探した。はっ。

 そうか、ツバルの台所には、ざるというものがないのだ。日本料理では欠かせない、水をきるためのざるが、ここにはない。
 そういえば、今まで学んだツバル料理で、ものを水でゆでる、という行為はなかった。

うーん!仕方がない。
 ゆであがったうどんが底に沈むのを待って、うわずみからザザーッと水を切った。
 うどんを押さえるのには、日本から持参のたくさんの箸をたばねて使った。
(ツバル家庭ではフォークも置いてないのが一般的。大きな木杓子(きじゃくし)はあるが。)
 そしてすかさず、ためておいた水の中にうどんを放つ。
 その水はすぐ、ぬるま湯になってしまった。いかん!これではうどんがしまらない。
 ざるがないので、こぼれるうどんを必死で手でつかみながらー。
 私は蛇口をひねって、ザザザーッと流水でうどんを冷やす。

 流水でうどんやそばを揉む。日本では、これは日常的な料理のしぐさだ。
―ところが。なにやら横から、絶句の視線を感じた。

振り向くと、若いセレとテマルペ、口をあんぐりしている。―かたまっていた。
 はっ。

 ゆであがったものを、流水で冷やす、そんな行為を、このツバル人たちは初めて見るのだ。

 2007年、日本。通算1年3ヶ月のツバル暮らしを経験したナツは、日本に帰って数ヶ月経った今も、蛇口をひねりっぱなしの、ジャーッという流水で皿をすすぐのは、どうも、気分的に落ち着かなくなってしまった。
 いまだに、水をためて、チャプチャプ、こじんまりとやっている。

 ―ゆでたうどんやそばを流水で派手にジャジャッーと手もみする時だけは、やっぱり、別だが。
 うどんやそばのシコシコ感だけは、ゆずれない。

 うどんを流水の中でもむとき。
流れる水の中でキラキラ光る我が手を見つめては、
ーこの、蒼く美しい山脈がつらなり、とうとうと豊かな水をたたえる、この国の瑞々しさを感じるのだ。


★ 1 ツバル各島の面積→
Census2002 Tuvalu Central Statistics Divisionツバル統計省 ホームページ 右下Key-Statsより。
ツバルのあらゆる統計的資料はまずここへ!
政府ビルの統計省室へ直接訪ねて行っても色々教えてくれる。なにせ南の小さなちいさな国なので、大国ほどの統計は揃ってないけど、アットホームで親切なのがいいところです。

★2 UNDP(国連開発計画)ホームページ 左下検索に「Country Background Note Tuvalu」入力で、2006年11月のUNDPツバル報告書が出てきます。

うどんを流水で手もみするシーンに、目が点、の若きツバル人たちであったー


執筆 2007年5月9日



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